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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑩ #トウジンカグラ #小咄

刃を握る凍雨は平然として目を剥く銀竹を見下ろしている。
「――盛り上がってきたなあ」
 更に高みから、長閑な声が陽光の如くやんわりと降り注いだ。
 その場にいた老人たちが皆、天を仰ぐ。銀竹も喉元の刃先を厭わず皆に倣い、凍雨だけが視線を揺らすことなく舌を打って納刀した。舌打ちと刃が鞘を滑る音にころころと笑いが重なり、老人たちが一斉に平伏す。
「ああよいよい。そのままでよかろうに、爺共は相変わらず大仰なことだなあ」
 空の色を映す羽織が揺れる。天井近くの宙に座していた神剣は笑みながら、仕い手たる当主の席にふわりと座してみせた。
 大広間でただ一人、凍雨だけが眉間に深々と縦皺を刻んで立ち尽くしている。蒼天はにこやかにかつての仕い手を見上げた。
「皆凍雨のように堂々としておればよかろうに。なあ?」
「喋るな」
「はっはっは、其方は相変わらず達者でよい。爺共も言など弄せず、これぐらいの勢いを持つがよかろうに」
 平伏す肩が動揺に揺れる。蒼天は大広間に居並び伏す老人たちを、一人一人眺めて笑う。
「我は血になど拘っておらん。
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑨ #トウジンカグラ #小咄

「……後は若い二人に任せるということで、ね! 長老方でどうぞご歓談の程!」
 縁台の影からそれだけを叫び、ヒュッと走り去る影がある。おいあれは養鶏の、そよのところの倅が、囁く老人もいたが、里長たる凍雨が立ち上がったことで皆一様に押し黙った。
 凍雨は冷えた視線を先刻まで息子が座していた席に落とす。耐えかねて砕けた杯だけが転がっている。
 続けて大広間を一瞥し、凍雨は静かに口を開いた。
「当主も辞した以上、この席は終いだ。残りたい者は好きにせよ」
「ま……待て凍雨!」
 一方的に言い捨てる凍雨に、思わずといった様子で山籟が立ち上がった。こめかみに青筋が浮き、その眦は吊り上がっている。
「ふざけるのも大概にしろ!」
「私はふざけてなどおらん。そう思うそちらに問題があろう」
「問題は貴様らだろう! お前が真っ当に育てんから氷雨があんなうつけになるのだ!」
「そもそも育ててすらおらんだろう。やはり貴様があの娘を娶ったばかりに――」
 濃藍が冷える。刺す。
 山籟に乗って罵る銀竹が悲鳴を上げた。喉元には鋼が突きつけられ、
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑧ #トウジンカグラ #小咄

 成程、あいつがまた何か吹き込んで穂群を連れてきたな。そう思うものの、乳兄弟に腹を立てる余力もない。むしろ感謝するべきだろう、今は。
 開き直り、氷雨は足袋の足裏で白砂を踏み締める。羽織の裾を掴む穂群の指を捕まえて、自分の指に絡ませる。そろそろと握り返される温度にほっとする。
「……お前なあ、腹が減るには早いだろう」
「減ったもんは減ったンだよ。別にオレはこっちでもいいけど」
「こッ、こではやめろ! ……何が食いたい」
「米」
 他愛のない会話にゆるゆると力を抜く。その分、指先がきゅうと力を込めて絡まって氷雨はちいさく微笑んだ。
 いずれ老人たちとは、きちんと話をしなければならない。それが叶うのがいつなのかは見当もつかないが、父とも話はできたのだ。彼らが氷雨を侮り穂群を蔑み続ける以上、先は長いだろうが――絶対に、彼らを説き伏せる。そのためには今のままの自分たちでは足りない、その自覚もある。今は少しだけこの安寧に身を預けて、そして。
 握り返される温度を心地良く思いながら、氷雨は微かに唇を引き結んだ。
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑦ #トウジンカグラ #小咄

 そうだ隣に父がいたのだとはっとする。穂群に引っ張られるがままたたらを踏んで、氷雨は揺れる視界に恐る恐る凍雨を捉えた。
 あれほど無関心に瞑目して座していた凍雨は、こちらを――正しくは穂群を見ていた。視線が絡んだのは刹那のことで、すぐに父の濃藍の視線は伏せられる。まるで頷くかのように。
 穂群はそれ以上何を言うこともなく、ずかずかと老人たちの列を割った。かと思えばよりによって山籟と銀竹の間を跨ぎ、玄関ではなく縁側から外へ出ていく。
「おい、穂群」
「あ? 履き物ぐらい我慢しろ、家まですぐだろォが」
「違う、いや違わないが、」
「ンだよ、俯いて黙ってンだから用事なんかねェだろ」
 自分だけはちゃっかり草履を履き、庭園の白砂をざくざく踏み荒らして穂群が氷雨を振り返る。その言葉にぐっと言葉を呑み――結局、氷雨は肩を落とした。
 下がった肩のまにまに、置き去りにした大広間を振り返る。老人たちは気色ばんで、あるいは薄気味悪そうにこちらを見送っていた。縁台の影には野分の姿があり、引き攣った愛想笑いでこちらに手を振っている。
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑥ #トウジンカグラ #小咄

「――氷雨」
 笑い声が、止まった。
 顔を上げる。息を止める。
 氷雨の前に、家に置いてきた筈の穂群が立っている。居並ぶ老人たちの真ん中を堂々と割り、手つかずの氷雨の膳を訝しそうに見下ろしながらしゃがみ込む。
「遅ェンだよ。腹減った」
「は? 穂――ッむ⁉︎」
 きらきらとうつくしい穂波を見つめる間もなく影が差して、閉じ込められる。
 頬骨が軋むほど強く掴まれて、がちりとちいさくも硬質な音が上がる。熱が奔った瞬間にもっと熱く、ぬるりと湿った熱に覆われる。流れる血を逆撫でるように舌が這って、そのままむにりと中に入り込む。何かを探すように氷雨の口の中を弄って撫で回して、じゅるじゅると啜られる。
 一体どれ程の時間が経ったのか。ぷはっとどこか幼い吐息を入って氷雨の唇が離された。頬を掴んでいた指が雑に氷雨の頤を拭い、そのまま自身の唇をなぞって指を吸う。
「足ンね。帰ろォぜ、氷雨」
 湿った指で氷雨の羽織を掴み、穂群は何事もなかったかのように立ち上がった。されるがまま、つられて氷雨も立ち上がる。
「じゃあな、親父さん」
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日⑤ #トウジンカグラ #小咄

 老人たちの頭にはそれしかない。氷雨の意思など、話など、最初から聞く気がない。フジの里において絶対のアメの一族、老人たちに益を産むにはままならぬ氷雨たちに非難を浴びせかと思えば擦り寄り、空虚でありながら里に対しては我々が守り営んでいるのだと大きな顔をして。
 ――帰りたい。腹が煮える。疲れた。時間の無駄だ。
 どうしてこんな口ばかりの年寄りに蔑まれ良いように悪様に扱われなければならないのか。
 自分はいい。己が取るに足らない、未熟で半端な人間だと、それぐらいの理解はある。けれどもしぐれや、何より――穂群のことを認めるどころか存在すらしないように、冗談だとか戯れだとか、そんな風に笑われることが耐えられない。
 俺と、あれが、ここまで何を思って何を選んで何を許し許されたのか、そんなことも知らない連中に。ただただ二人で同じ屋根の下、ひとつの衾を分け合って眠って、目を覚まして、食事をして言葉を交わす、それだけの暮らしを続けたいだけなのに。
 俯く氷雨の言葉など要らぬとばかりに、老人たちの空っぽな笑い声が行き交っている。
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アメの一族当主・天ノ端氷雨の誕生日④ #トウジンカグラ #小咄

「当主殿の七宝での御役目は終わったというのに妹御は未だにフジに戻らず、当主殿も里長も呼び戻す気がない様子」
 しかしながら神剣が妄言を吐くより先に、銀竹が弛まぬ舌鋒を繰り出してくる。最早感謝すればいいのか気を揉めばいいのか腹を立てればいいのかもわからない。
「しぐれは関係ありません。私は既に伴侶を――」
「であればどうです、当家の孫など。気立ても良いし歳も近い。習わしには添えませんが、天ノ端の過去には外の血が入ったこともございます。今更構いますまい」
「山籟殿がよいならば当家の姪は如何です。当主殿より少しばかり年嵩ではありますが、当家は先々代と縁がございます。他家よりも血は濃いかと」
「妾はいくらおってもようございますよ、当主」
 少なくともこの場に氷雨の味方がいないことはよくわかる。
 空の杯に罅が入る。氷雨は力の入り過ぎたそれを見つめながら、貼り付けた笑みが曖昧に溶けていくように感じた。
 アメの一族は神剣を継ぐ。その血を濃く絶やさぬよう。
 反面、付け入る隙のない大いなる一族に縁を、利権を繋ごう。
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