No.2445

今城千尋 #翼角 #創作HBD
20250805015521-admin.png
翼角高校2年2組。園芸委員。
委員会が同じ大和とよく話をするようになる男子生徒。
校則違反のアルバイトに勤しんでいるため生徒会に度々追い回されている。また校内の噂にはとことん疎い。
一部の人間にしか見えない、パジャマを着た小暮日向という半透明の少女が背後について回っている。
現在のバイト先は新聞及び牛乳配達と定食屋。愛用のママチャリで駆け抜けている。
無意識的且つ強迫的に金銭を稼いでいるが、「たくさんお金があれば日向の手術ができて元気になってまた一緒に遊べる」という年長時自身に擦り込んだ強烈な思考のため。日向が死没したショックで彼女の存在諸共忘れてしまっている。
バイト先の定食屋で着ぐるみ担当(?)として勤める男性に仄かに思いを寄せていたが…
尚、卒業後は専門学校に進学し、保育士になる。
閉じる


2月18日の小倉和秀 #小咄

 今城千尋が欠席した。
 小倉和秀は朝のホームルームで、俄に驚愕していた。確かにあの、まるくてつややかな後ろ頭も、ほっそりした首筋も、少しだぶついて見える草臥れた学ランもまだ見ないなと思っていた。しかし教師が朝の出欠確認で明言するまで、和秀は千尋の欠席が信じられなかったのである。
 和秀は千尋の幼馴染である。千尋が和秀のことを認識しているかは怪しいが――何せ相互理解を果たせるほど会話を重ねたことがない――小学校の六年間と中学校の三年間、そしてこの翼角高校に入学してからの二年、計十一年は同じクラスに籍を置いているのでそう呼んでも差し支えないはずである。
 何なら、『い』まじょうと『お』ぐらで出席番号が連続し、然るに座席が縦並びになったことも多々ある。今現在の高校二年がそれで、和秀は空っぽの前の席をじっと見つめた。何度見ても誰も座っていない。
 割りと雑なところがある千尋はプリントを回すときに振り向かずに手首の返しだけで回してくる。なのでよく和秀の手や顔をプリントの束が叩く。それが今日は一切なく、一列目の空席を飛ばして和秀が直接教師からプリントを受け取っている。
 千尋の背中にくっついている半透明の少女が、授業中に不意に和秀に話しかけてくる。それもまた一切なく、眠たくなるような教師の声と、抑揚の急上昇と乱降下を繰り返す高校生たちの声しか聞こえない。
 一日、放課後まで過ごして、それでも和秀は信じられなかった。何せ十一年の間で一度も、今城千尋は欠席をしたことがなかったのである。クラスでインフルエンザが流行って学級閉鎖になっても、通学中に自転車で事故に遭って腕を固定するような怪我をしても、今城千尋は一度も自己都合の欠席をしたことがなかった。
 放課後のチャイムが鳴り、和秀はコートとマフラーを着込んで外に出る。創立記念文化祭が迫っているためか、顧問の教師が不在とのことで今日は部活もない。この機を逃すまいと部活仲間がカラオケに誘ってきたが、適当な理由をつけて断った。
 和秀はコートのポケットに手を突っ込んで、覇気なく家路を辿る。和秀は徒歩通学である。今日は放課と同時に爆速で校門を飛び出していくママチャリの影も形もない。何となく見上げれば、透き通った青色に灰色の雲が輪郭を溶かして伸びている。空の端っこまで辿ればいつもの街並みがあって、海へと流れ込む河川があって、黄色っぽく低い草丈の堤防と、枯れて枝振りだけを晒す並木道と、それからたんぽぽの綿毛みたいな淡い色が見える。
 淡い色がふわふわしている。堤防の斜面から辛うじて覗くそれは和秀が近寄るとぴょこんと飛び上がった。半透明だった。
『かずくんっ』
 和秀は一度たりとも少女に名乗ったことはなかったが、千尋を『ちーちゃん』と呼ぶ少女はいつからか和秀のことをそう呼んでいた。つまり千尋の傍に現れる半透明の少女――彼女も和秀に一度たりとも名乗ったことはないが、一人称が名前のため言うまでもなく名を知っている――日向だった。
 日向の大きな目は今にもこぼれそうになっている。半透明なだけでなく、瞳がゆらゆらと揺れている。少女がここにいるということは、当然千尋もすぐ近くにいるのだろう。日向は和秀の腕を引くような素振りを見せた。触れないので格好だけ。
『かずくん、ちーちゃんに、えっと、わかんない、わかんないけど、ちーちゃん、ちーちゃんが』
「落ち着け」
 声を低めて囁いた。寂しい堤防の道には誰の姿もなかったが、きっと斜面の下には千尋がいる。そもそも誰も聞いていないとしても、見えない何かに話しかける不審な男子高校生の姿は危惧して然るべきである。
 その程度の判断はできたが、落ち着け、と口にした和秀も内心焦っていた。十一年間で初めての欠席をした今城千尋と、見たこともないほどにうろたえる少女。何かあったのは間違いない。狼狽からなのか年齢のためか、日向は状況を説明することばを持っていない。しかしながら自分より混乱している人間――正しくは幽霊――がいると冷静になれるもので、和秀はゆっくりと深呼吸をした。
 日向の隣を擦り抜けて、舗装された路面から低い草地、堤防の端へと歩み寄る。
 見下ろせば、見慣れたまるい後ろ頭があった。
 冬の深まるこの時期にコートもマフラーもなく、学ランだけを着た細いシルエット。愛用の自転車すら見当たらない。斜面に座り込んで、立てた膝を抱えて、視線は冬の河川へと注がれている。
 あり得ない妄想をした。もしかしたらこのまま千尋が斜面を下り、河原まで下りて、そのままざぶざぶと水面に入ってしまうのではないかと思ったのだ。
 何があった、と呟いた声が掠れていた。それでも日向は確かに聞き取って、幼く拙いことばを一生懸命に紡いだ。
『えっとね、きのうの、バイトでね、ちーちゃんはずっと気にしてたんだけど、ポンポコのひとが、ちーちゃんにね、ゆびわがあって、それで、すまないって出て行って、ちーちゃんが泣いちゃって、店長さんもみんなもなんにもいえなくて、ちーちゃんそれからずっと、元気なくて、ごはんもほとんど食べなくて、ねてなくて、朝のバイトもお休みして自転車も置いてきちゃって、ここにいるの』
 和秀はきゅっと唇を引き結んだ。日向の説明は何一つ要領を得ないが、バイト先で何かあったことは明白だった。唐突な『ポンポコ』なる単語にも聞き覚えがある。千尋のバイト先に無駄に居座る着ぐるみである。着ぐるみの中の人間と何かあったのだろうか。指輪、すまない、ここが何もわからないが、その単語は和秀の胸の奥をざわざわと撫でた。
 千尋のバイト先は、様々な偶然の末にたまたま知っている。そもそも翼角高校はアルバイトが禁止されているし、重ねて、和秀と千尋は共にいる時間が長いだけで互いを認識した会話などほとんどしたことがない。恐らく千尋本人より日向と意思疎通を図った時間の方が長いと断言できる。
 千尋は学校という場所に、何も見出していない。十一年同じ空間で過ごしてきて、和秀は理解している。放課後のチャイムと共に待ちかねたとばかりに飛び出して、どこかであくせくと労働に精を出している。高校に入ってからは特に顕著だ。
 つまり千尋には、和秀の知らない学校外のコミュニティや人間関係がある。
 冬の堤防に座り込む後ろ姿が遠い。
 それでも和秀は、一歩踏み出した。乾燥した空気に晒された草が、スニーカーの裏で潰れてクシャリと悲鳴を上げる。学ランの肩がちいさく揺れた。
 構わずに進む。一歩、二歩。斜面を滑らないよう、足裏を踏み締める。進んでしまえば、遠い、なんてことはない。和秀の手の届くところに頼りない背中があって、だから和秀はそのまま隣に腰を下ろした。何も言わずにその横顔を見つめた。
 千尋は、こちらを見なかった。ただ、隣に座るのが和秀だと認識しているようだった。何故ならこちらの名前を呼んだので。
「かずひで」
 十一年の間で、一体何回呼ばれたことがあるだろう。
 それほどに耳馴染みがなかった。少なくともこんなに掠れて、掻き消えて、なくなってしまいそうな声で呼ばれたことは絶対になかった。
「おう」
 和秀は、それだけ応えた。どうした、とも、何があった、とも、言わなかった。ただ隣にいるだけだった。何も言えなかったのもあるし、それが正解のような気もしていた。ただじいっと、千尋の横顔を見ていた。
 冬の空気に、千尋の赤らんで荒れた目元が目立つ。その瞳は傾き始めた太陽を暖色に反射する、川面の煌めきだけを映していた。瞳の端がきらきらと輝く。こぼれる。
「おれ、好きな人がいたんだ」
 ほろほろとこぼれる。唇が震えて、笑う形に引き結ばれて、それが酷く不格好だった。
 和秀は目を閉じた。そのまま腕を伸ばして、千尋の肩を向こう側から掴んだ。ぐっと引き寄せた。頼りない身体はそのまま倒れ込んで、和秀の胸のあたりに収まった。まるい頭がすぐ目の前にあった。十一年で一番近い距離だった。
「――そうか」
 辛かったな、とも、元気出せよ、とも、言わなかった。それは絶対に不正解だと思った。ただぐっと、引き寄せた腕に力を込めた。学ランも、和秀の顎のあたりに触れる髪も、きんと冷えていた。それが温まるといいな、とだけ考えた。
 胸の辺りで強張っていた身体が、ゆっくり、ゆっくりと、太陽が少し赤みを乗せるほどの時間をかけて解けていった。和秀の胸に、膝に、腕に重みが乗せられていった。だてに部活で鍛えているわけではない、和秀はひとつも揺るぐことなく、千尋を受け止めた。
 やがて、ひっ、と喉が鳴った。和秀の喉ではなかった。それはだんだん小刻みになって、吸い込んで吐き出す度に震えて、耐えきれなくなって和秀のコートを掴んだ。これ以上ないぐらい抱き寄せて受け止めた。喉を、鼓膜を震わせる千尋の泣き声を、和秀は十一年で初めて聞いた。ただ両腕を回して、和秀は溢れる涙を受け止めていた。
閉じる

ネタ

プライバシーポリシー
当ページでは、cookieを使った以下のアクセス解析サービスを利用しています。
●アクセス解析研究所
このアクセスデータは匿名で収集されているものであり、個人を特定するものではございません。
こうした履歴情報の収集を望まない場合、cookieの受け入れを拒否することが可能です。詳細はご利用のブラウザの設定をご確認ください。
詳しくはサービスのプライバシーポリシーをご覧ください。