No.2361

Day19「網戸」 #文披31題 #小咄 #リボ

 遠征中は基本的に雑魚寝になる。稀に宿を取ることもあるが行軍の人数にもよっては目立ちすぎるし、金もかかる。そちらの算盤を弾くのは軍師役殿の仕事だ。
 その軍師役殿と、今宵も二人きりになっている。雑魚寝でいいと言うのに軍主としての威厳が箔付けがと軍師役殿はいつも喧しい。ならお前も俺と同じ幕にいるのはおかしいだろうと一度指摘してやったことがあるが、激しく後悔した。私が他の皆さんと一緒に寝ても? いいんですかぁ? 甘く間延びする声は己にしかわからない怒気を孕んでいて、まるで迫るように己にのし掛かってきた胸元は無防備に開かれていた。あれほど己の失言を悔いたことはない――いや、似たようなことは何度も繰り返している。
 故に今夜も口を噤んでいる。一応、威厳や箔付けとやらに対する配慮なのか、幕の中には蚊帳が吊されていて、己だけがその中で転がっていた。本来は虫除けのはずだが、高貴な人が透かす御簾のようだ。明かりは既に落としているが、軍師役殿は傍らに小さな火を置いて右往左往している。紗越しにその姿が見えた。
 威厳箔付けも虫除けも、己には必要ない。ただ父と兄が悪戯に重くした荷物を辛うじて負うているだけで、本当はこんなところ抜け出してしまいたい。大勢の中の一人になって、皆と肩を並べて寝転がって、ただの。
「ダメですよ」不意に声が上がった。
 紗の向こうで、軍師役殿がじいっとこちらを見ていた。静かに弾いていた算盤も片付けて、小さな火だけを頼りに立ち尽くしている。その表情はよく見えない。微かな光からは遠く暗く、それも紗が覆い隠している。幼い頃から見続けてきた輪郭が、ほっそりとなよやかに立ち尽くしていることしかわからない。
「テメーはそこにいるんだよ、レイヴ」
 滅多に呼ばれることのない己の名前だった。ならば、ああ。蚊帳の中で目を閉じた。今日もまた、己の軍師役殿は、従兄弟は、幼い頃からずっと己のせいで自身を偽り続けている男は、怒っているのだ。
 昔絵巻のお姫様みたいだな。囁く声は嘲りを含んでいる。なのに悲しいぐらいに優しいと思ったのは己が既に夢の世界に沈み始めた証左なのかも知れない。紗の向こうの顔は、どうしたって見えなかった。
(レイヴとファリル/風紋記)

閉ざされている。
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