Day11「蝶番」 #文披31題 #小咄 #トウジンカグラ 開く ここは存外と特等席だ。杯を傾けながら、左しか残っていない目玉をほんのわずかに右へ左へ。お互いから視線を逸らして、その実、真ん中にして真ん前の波佩など路傍の石の如く扱って互いだけを意識する男たち。 「……ので、波佩殿もおわかりかと思います。これの言い分に理がないと」 「るッせェな。言いてェことあンなら自分で言えよ、コッチに借りンじゃなくてよ」 お互いの口に波佩を上らせて尚、互いしかいない訳である。ここに可愛い懐刀がいれば不敬だと甲高く喚いているところだが、義弟夫夫の痴話喧嘩に入れる必要もあるまいと下がらせている――熊野だけは座敷の隅で黙して座しているが。 ここまで互いにいがみ合いながら、未だ先に折れるのはそちらだと言わんばかりに矛先を下げている。成程成程。波佩は器用にも頷きながら杯を干した。遠路遥々、生まれたばかりのよちよち歩きが七宝ではなくこちらを頼ってきたというだけで義弟に肩入れしたくなるが、男の性分として義弟の傲慢な口ぶりにも大いに同意できるところがある。 どちらかに言を傾け、更に場を引っ掻き回すのが一番楽しいに決まっている。しかしながら露の上下二国を従える辣腕の領主は、そこまで享楽的ではなかった。 故に空の杯をたんと畳上に落とした。濃藍の義弟がはっとして、黄金の義弟がちらと目端で波佩を捉える。それを間違いなく認めて鷹揚に頷き、そして波佩は立ち上がる。獣の尾に似た結い髪が撓って跡を曳き、追うように存在すら沈黙に閉じ込めていた熊野が続いた。 「夫夫喧嘩は犬も食わんと言うからな。オレは暫し席を外す故、いくらでも、奥深くまで、二人で語り合え!」 じゃあまたな! 呆然と見上げる二対の瞳を置き去りに、波佩は揚々たる足取りで己の間を辞した。 子は鎹、とはよく言ったものである。しかしながら波佩は夫夫の子ではなく義兄であり、鎹ほどの勤勉さもなかった。二人を只中で支える程度はしてやるとして、どちらにも気紛れに懐を広げる程度には適当であった。 全てを開け放したまま、波佩は熊野だけを従えて城下へと足を向けた。日の高い今のうちから浴びるように酒を飲むつもりである、恐らく夫夫の語らいは夜更けまでは続くはずなので。 (波佩と氷雨と穂群/トウジンカグラ) いつかの夫夫喧嘩で家出する穂群と後手後手で追いかける氷雨の話。蝶番のようにバタバタと、ふたりを繋ぎつつもどちらにでも懐を広げる男。 閉じる 2025.7.12(Sat) 01:18:20 ネタ
ここは存外と特等席だ。杯を傾けながら、左しか残っていない目玉をほんのわずかに右へ左へ。お互いから視線を逸らして、その実、真ん中にして真ん前の波佩など路傍の石の如く扱って互いだけを意識する男たち。
「……ので、波佩殿もおわかりかと思います。これの言い分に理がないと」
「るッせェな。言いてェことあンなら自分で言えよ、コッチに借りンじゃなくてよ」
お互いの口に波佩を上らせて尚、互いしかいない訳である。ここに可愛い懐刀がいれば不敬だと甲高く喚いているところだが、義弟夫夫の痴話喧嘩に入れる必要もあるまいと下がらせている――熊野だけは座敷の隅で黙して座しているが。
ここまで互いにいがみ合いながら、未だ先に折れるのはそちらだと言わんばかりに矛先を下げている。成程成程。波佩は器用にも頷きながら杯を干した。遠路遥々、生まれたばかりのよちよち歩きが七宝ではなくこちらを頼ってきたというだけで義弟に肩入れしたくなるが、男の性分として義弟の傲慢な口ぶりにも大いに同意できるところがある。
どちらかに言を傾け、更に場を引っ掻き回すのが一番楽しいに決まっている。しかしながら露の上下二国を従える辣腕の領主は、そこまで享楽的ではなかった。
故に空の杯をたんと畳上に落とした。濃藍の義弟がはっとして、黄金の義弟がちらと目端で波佩を捉える。それを間違いなく認めて鷹揚に頷き、そして波佩は立ち上がる。獣の尾に似た結い髪が撓って跡を曳き、追うように存在すら沈黙に閉じ込めていた熊野が続いた。
「夫夫喧嘩は犬も食わんと言うからな。オレは暫し席を外す故、いくらでも、奥深くまで、二人で語り合え!」
じゃあまたな! 呆然と見上げる二対の瞳を置き去りに、波佩は揚々たる足取りで己の間を辞した。
子は鎹、とはよく言ったものである。しかしながら波佩は夫夫の子ではなく義兄であり、鎹ほどの勤勉さもなかった。二人を只中で支える程度はしてやるとして、どちらにも気紛れに懐を広げる程度には適当であった。
全てを開け放したまま、波佩は熊野だけを従えて城下へと足を向けた。日の高い今のうちから浴びるように酒を飲むつもりである、恐らく夫夫の語らいは夜更けまでは続くはずなので。
(波佩と氷雨と穂群/トウジンカグラ)
いつかの夫夫喧嘩で家出する穂群と後手後手で追いかける氷雨の話。蝶番のようにバタバタと、ふたりを繋ぎつつもどちらにでも懐を広げる男。
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