No.2310

Day9「ぷかぷか」 #文披31題 #小咄 #王女と騎士

 島が来たと誰もが呟く。年寄りたちは洗濯物が乾かないと物憂げに呟き、子どもたちは影を追って走り出す。
 ルークはただ無感動に、空をゆく島を見上げている。
 あそこから、逃げてきた、訳では断じてない。捨ててきた、訳でもない。見放された、とも異なる。両耳から細い鎖で垂れ下がる黄水晶が、苛むようにちりちりと音を立てる。もうすっかり慣れたそれに、ルークは目を伏せて懐を探った。紙巻き煙草を取り出して口に咥え、爪先を弾くだけで魔術の火花を散らして煙をくゆらせる。立ち上る紫煙の向こうを、遠く高く、空に浮かぶ島がゆっくりと遠ざかってゆく。島は夜ごとの月のように、数日間村の上を周回し、見えなくなるのはまだ少し先になる。
 いつかあそこに戻るのだろう。いつか、を考えるのは無益で、無駄だった。そのときが来るのなら、それはルークが生まれた目的を果たすためで、つまり――実に無駄だった。
 天から地へと視線を転じる。高所に立つ診療所、正確には監督官邸からは村のほとんど全てが一望できる。働き盛りの若い世代が顕著に少ない中、年寄りと子どもたちはただただ暮らしを営んでいる。洗濯物の乾きに憂い、影を追うだけの変化を見せながら。
 こんな日々はあとどれだけ続くのだろうか。そう考えることは恐らく幸福で、不幸だった。己の命の期限とほとんど同義だったので。
 ルークが吐き出した紫煙の向こうに、切り裂くような白銀が現れるのは今しばらく先のことである。
(ルーク/王女と騎士)

倦んだ日常に島と煙がぷかぷか。
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