No.1290

狭間で告白する紅来のおはなしを拝見して考えてたんだけど、以前旧じゃなかった頃かも知れないTwitterかどこかで拝見したような気がする、「一緒にいきたかった」が生きたかったで行きたかったで逝きたかったということだったと思うんだけど、然るにこの「君」は文脈的に紅嘉さんを紅運さんと同一視してる方に見えるけど仮にそうだとして、でも紅嘉さん自身が「いいぜ」って言ってるならそれが客観的にどれだけ不幸でも絶望でも救いがなくても、それが一つの愛のかたち、あるいはそこから本当の愛になって愛を知っていくんじゃないかな…愛という概念そのものが不定形の化け物では…とか悶々と

よそ様,私信

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