マザーテレサも思考に気をつけなさい仰ってたポジティブな話しよ。好きなコンテンツ発表カサネが好きなコンテンツを発表します♪♪ガンダムSEED FREEDOM #版権作品開く2002年に放送されたガンダムSEED、2004年にその続編として放送されたガンダムSEED DESTINYの続編となる完全新作ストーリー。制作発表そのものは放送終了後2006年にはなされていたものの一切の音沙汰がなく、後年のガンダム作品劇場版に追い越されシリーズの脚本家が2006年に逝去されたこと、何より主人公(笑)を代表として長年インターネット上で二転三転する程度にしゃぶり尽くされていた数々のやらかしから制作が続いていると信じるファンは恐らくみじんこ程にもいなかったと思われる。なおそのみじんこ程に該当し公の場で続編を待っていると声を大にし、ほとんど諦めていたファンに、待ってもいいのか、そんなに言うなら何かあるのかと希望を与えてきたのがこの人。なおこの人自身もこのラブコールが監督を始めとした制作陣の負担なのではないかと悩んでいた模様。2022年、突如SEEDプロジェクトとしての制作発表、でもまだ待つんでしょ信じられないという空気を残しつつ2023年ガンダム最新作水星の魔女最終回後に公開日告知、キャッチコピーがSEED及びDESTINY放送当時同じキャラクターデザイナーによるロボアニメとして放送され前日譚や劇場版、続編二作品を経て近年完結しスパロボUXでは設定が同化し過ぎ・SEED覚醒=同化現象などと騒がれた蒼穹のファフナーそっくり、などと沸きつつ2024年1月26日ついに公開。この上映に参じた者は皆、何が出てくるのか身構えていた。悪い意味で話題になりしゃぶり尽くされ半ばミームと化して風化し始めたガンダムSEEDシリーズでこれ以上何があるのか?人によっては葬式、人によっては斜に構え、あるいは嘲笑い粗探しのつもりで、恐らく心からポジティブに新作を楽しみに鑑賞に臨んだ者などほとんどいないだろう。それほどまでに爪痕傷痕は深かった、主にガンダムSEED DESTINYの展開及び監督の発言、散見される当時の現場の声からして当然である。20年は重く長過ぎた。ところが蓋を開けてみれば……上映終了後ファンたちは皆笑顔で席を立ったのである!! あのガンダムSEEDで!? 馬鹿な!!皆、は言い過ぎである。こんなのSEEDじゃない、観たかったのはこんなSEEDじゃない、ギャグに振り切りすぎ、結局主人公は世界の戦争を止める手段など示さなかったじゃないか。そんな声もあった。確かに当時のSEED及びDESTINYではないだろう。でも当然のことである。だってFREEDOMは2006年最初の発表で制作されたものではないし、制作陣もこの20年に渡る批判を当然知っているし、何より現実世界と我々が20年の年を経た。ツインタワービル崩壊に端を発した世界の混乱に影響されたSEEDの頃は誰もロシアが大々的に戦争を始めるなんて思ってなかった。美術とは、音楽小説漫画映画とは、社会に生きる我々によって生み出されその時代を生きる我々が享受するものである。あと2006年にはガンダムビルドシリーズもなかった、当時の制作であればアスランはズゴックに乗っていない。アッガイに乗っている。ここまでスマホで打ったけど長すぎた。ところで私はガンダムSEEDのことは良作だと思っている。ガンダムSEED DESTINYのことは駄作だと思っている。でも好きなのはガンダムSEED DESTINYで、主人公のシン・アスカで、彼の乗機のインパルス及びデスティニーのことがずっと好きだった訳である。公開前に開示された公式情報にはシンの姿があって、インパルスの姿もあった。しかしながら大変に不安しかなかった。先述の主人公(笑)とネット上で呼ばわられたのはガンダムSEED DESTINYの主人公シン・アスカのことである。話題作となったガンダムSEED終了の1年後に放送されたDESTINY、前主人公キラ・ヤマトに代わる新たな主人公。ガンダムTVシリーズでは初の1話時点で正規軍人であるシンは、OPアバンにてSEEDでキラが戦闘しているその目下で避難する一般市民として描写され、キラたちの戦闘の余波により2024年だともうちょっとぼかされるかもっとアップで匂わせられるような描写で父と母と妹を亡くし、妹の腕の前で自分だけが生き残る原因となった妹のケータイを握り締めて慟哭するところが始まる。こう書くと本当に凄惨だな。とにかく前作SEEDとは全く異なる顛末・性格・理由から戦いに身を投じるシンが、最後には主人公(笑)などと揶揄される訳である。それは脚本の迷走と呼ばれたもので、2024年の今明かされた情報を総合すれば本来放送前に年単位で準備するはずの全50話の「ガンダム」が、人気だからという理由でたった1年だけの準備期間で始まってしまったが故の悲劇である。余談だけどこの準備期間1年、当時土6と呼ばれていた枠を繋いでいたのはポルノグラフィティが最初のOPを務めた方の鋼の錬金術師である。とにかくシンはメタ的に不遇だった。インパクトのある1話のわりに1クール目の主人公は前作主人公のライバル的ポジションだったアスラン・ザラが務めたようなもの。たまに描写されたなと思ったら暗い部屋で妹のケータイで亡き妹の写真を見たり待ち受け音声を聞いたり、アスラン含む前作キャラすげぇ…とかしている。語弊はあるが大体そんな感じ。これで隠居していた前作主人公キラが劇中で大々的に動き始めると完全に悪役のような立ち位置にシフトしてしまう。最後のEDクレジットではキラ、アスランに次ぐ3番目に名を連ねることになり、ここから主人公(笑)という蔑称が決定的になった。このへんで監督が「シンが主人公というつもりはなかった」「初めからキラ、アスラン、シンが主人公」みたいな盛大な梯子外しをしたのは許してない。シンの声優である鈴村健一がシンのヒロイン・ルナマリアの声優である坂本真綾と結婚したときに「当時は別の人と付き合ってたような(^-^;)」みたいなツイートしてたのは一番許してない。結果として監督は視聴者の転がし方を、作品の魅せ方を作劇にしろ映像外のツイート(ポスト)にしろよくよく理解しているエンターテイナーであることは大いに認めるし感謝するけどそれはそれとして許してないし嫌い。あと3人が主人公的な発言してたけど映画のパンフレット類や2023年の発売されたDESTINYのBD-BOXでは音楽を担当した作曲家や各声優陣が「主人公が交代した」という旨のコメントをしている。こ、この~!!とにかくシン・アスカは主人公ではなくなった。FREEDOMの主人公はSEEDから続けてキラ・ヤマトである。それはいい。20年も経てば諦めるし納得する。でもまだ懸念事項がある。彼の乗機であるデスティニーが公開前情報にはいないのである。インパルスはあるじゃん、そう思うもののしかしガンダムシリーズのお約束として、最終的にシンは主人公じゃなくなったものの主人公のお約束としてインパルスからデスティニーへと乗り換えをしているのである。00で主人公の刹那は00ガンダムではなく最初の愛機であるエクシアとセカンドシーズンのラストバトルに臨んだけど、シンの場合は前の乗機に乗り換えるとスマートに考える訳にはいかない。シンがデスティニーに乗るのと同時にインパルスはルナマリアの乗機として譲られているので。また余談だけどインパルスはSEEDの戦争が一度停戦して後、新たな条約を批准する中で開発された新型のセカンドシリーズでも肝煎りの機体である。いわゆる合体機構を搭載し、軍内部でも秘匿され、シンはDESTINY開始前に最新鋭機インパルスのテストパイロットに抜擢されたという前提がある。リマスター版あたりではシンが合体前の機体=コアスプレンダーに搭乗するアップのシーンでは機体にSHINN ASUKAの名前がきらりと光っている。とにかくとにかくデスティニーの姿はなかった。DESTINYで倒されるべき悪役側として描かれてしまったシンが守っていた世界を変えると嘯かれキラたちに否定されたプランが「デスティニープラン」だったので、その名を冠するデスティニーはFREEDOMの世界には登場できないのでは?などと散々噂されていたし、シンはワンオフ機であるガンダムではなく別の量産機体に乗るのでは?まで囁かれていた。本当に嫌いだけど監督の魅せ方は巧い。ここらへんもいろいろあるんだけど結果としてデスティニーは登場した。2時間の映画の中でガンダムお決まりの乗り換えイベントを、しかも刹那とエクシアの例と同じくロボアニメでとっても燃える前機体への乗り換えをやってくれた。本当に嫌いだけど監督の魅せ方は略。シンと同じくデスティニーもDESTINYでは不遇機体だった。キラたちの機体がインチキみたいな強さで描写され最後の決戦もキラとアスランは機体無傷でデスティニーは半壊とかいう一種グロい描写でDESTINYアニメは終わったのである。お陰でデスティニーは大したことない、近中遠距離対応とはいうもののどれにも半端な機体、腕なくなったら終わり、インパルスでいい、ビジュアルが悪役等々散々な評価だった。それでも私はシンとデスティニーが好きだった。ええやろ血涙めいたアイカメラの隈取り!FREEDOM劇中での活躍はどうだったのか。蓋を開けてみたらとんでもないことになっていた。この20年間の悪評を全て聞き入れて全て覆すような戦闘シーンが劇場のスクリーンいっぱいに描かれた。近中遠距離対応とはこういうことだ、全てを受け入れたシン・アスカの戦闘に応える武装だ、シンのための機体だ。なんかDESTINYで登場したCV西川貴教のエリートパイロットが搭乗する予定だったハイネ専用デスティニーとかあった気がするけどペーパープランだぜ気のせいだぜ。腕なくなったら終わり? 腕もげるもんならもいでみろ、できるならな! 分身は、こうやるんだァアアアア!! 知らないよこんな武器! お、オレらも知らん…! 何それ…!? コックピットと駆動系以外弄ってない!? 武装は当時のまま!? 嘘やろ!! ヴォワチュール・リュミエールってそんなんでしたっけ!? アマゾンプライム配信で真面目に数えた有識者によると103体ぐらい分身してるらしい。これが寝惚けてない分身…! いけーっフラッシュエッジ! そこだっアロンダイト! ぶちかませ名無しの長距離砲! パルマ・フィオキーナ!! ゼ……ゼウスシルエット!? DESTINY当時オーブの地下政府中枢を確実に破壊するために設計され放棄されたザフトの武装で、シン・アスカが、DESTINY当時あんなに愛して憎んだ故国を……守った!?!?心が読める・洗脳するインチキ人種が敵だったFREEDOM、シンも洗脳を受けそうになるけれど彼の心を守ったのは……小説版では彼女だけではなく家族や友人、亡くした人たちの愛がシンを……ここで私は成仏した。ガンダムSEEDは宗教が機能しなくなった世界の人種間戦争で、思想と思想の争いである。敵は思想なので、首魁に見える人間がいなくなってもまた同じ思想を持った人間が現れる。宇宙コロニーに核打ったり報復に地球に核エネルギーを封じる兵器を打ち込んだりするヤバヤバ世界である。キラたちはどうやってこの戦争を終わらせるか、20年前のSEEDからずっと葛藤している。FREEDOMが受け入れられない人の中にはこの答えが示されなかったと言う人もいた。でもガンダムSEED FREEDOMは、まるでSEEDとは思えないような直球の答えを出している。戦争を止める方法は愛だと。それは誰かを愛することであり、隣人への愛であり、最後のモノローグに語られるようにほんのちいさな一歩、あなたのことを聞かせてもらうこと、私のことを聞いてもらうこと。実にシンプルな答えである。もちろんこれだけで戦争が終わるはずはないけど、結局終わらせるための最初の一歩は間違いなく愛から始まるのだろう。20年前からずっと散々な物議を醸してきたSEEDシリーズはこう結論を示した。ガンダムSEED FREEDOMはこの20年があったからこその作品である。20年前ではいけなかったし、たぶん10年前でも受け入れられなかった。20年の時を経て、世界の、我々の変わったこと、あるいは変わらないものに訴え、切り込み、爆発した作品である。シンは「いくら綺麗に花が咲いても人はまた吹き飛ばす」と嘆いて、キラは「それでも僕らはまた花を植えるよ」と答えた。FREEDOMはッシャアオラァ!!花植えに行くぞォ!!のテンションだと言及したインターネットユーザーは言い得て妙である。そんなファンのいるガンダムSEED FREEDOMが好き好き大好き♪ガンダム系は基本的にバンダイのものなので今を過ぎたらバンダイナムコチャンネルでしか視聴できなくなる可能性が大いにある!みんな、アマゾンプライム(もしくはネットフリックス)で機動戦士ガンダムSEED FREEDOMを観てくれよな!!閉じる 2024.6.17(Mon) 22:53:42 日記
好きなコンテンツ発表カサネが好きなコンテンツを発表します♪
♪ガンダムSEED FREEDOM #版権作品
2002年に放送されたガンダムSEED、2004年にその続編として放送されたガンダムSEED DESTINYの続編となる完全新作ストーリー。
制作発表そのものは放送終了後2006年にはなされていたものの一切の音沙汰がなく、後年のガンダム作品劇場版に追い越されシリーズの脚本家が2006年に逝去されたこと、何より主人公(笑)を代表として長年インターネット上で二転三転する程度にしゃぶり尽くされていた数々のやらかしから制作が続いていると信じるファンは恐らくみじんこ程にもいなかったと思われる。なおそのみじんこ程に該当し公の場で続編を待っていると声を大にし、ほとんど諦めていたファンに、待ってもいいのか、そんなに言うなら何かあるのかと希望を与えてきたのがこの人。なおこの人自身もこのラブコールが監督を始めとした制作陣の負担なのではないかと悩んでいた模様。
2022年、突如SEEDプロジェクトとしての制作発表、でもまだ待つんでしょ信じられないという空気を残しつつ2023年ガンダム最新作水星の魔女最終回後に公開日告知、キャッチコピーがSEED及びDESTINY放送当時同じキャラクターデザイナーによるロボアニメとして放送され前日譚や劇場版、続編二作品を経て近年完結しスパロボUXでは設定が同化し過ぎ・SEED覚醒=同化現象などと騒がれた蒼穹のファフナーそっくり、などと沸きつつ2024年1月26日ついに公開。
この上映に参じた者は皆、何が出てくるのか身構えていた。悪い意味で話題になりしゃぶり尽くされ半ばミームと化して風化し始めたガンダムSEEDシリーズでこれ以上何があるのか?
人によっては葬式、人によっては斜に構え、あるいは嘲笑い粗探しのつもりで、恐らく心からポジティブに新作を楽しみに鑑賞に臨んだ者などほとんどいないだろう。それほどまでに爪痕傷痕は深かった、主にガンダムSEED DESTINYの展開及び監督の発言、散見される当時の現場の声からして当然である。20年は重く長過ぎた。
ところが蓋を開けてみれば……上映終了後ファンたちは皆笑顔で席を立ったのである!! あのガンダムSEEDで!? 馬鹿な!!
皆、は言い過ぎである。こんなのSEEDじゃない、観たかったのはこんなSEEDじゃない、ギャグに振り切りすぎ、結局主人公は世界の戦争を止める手段など示さなかったじゃないか。そんな声もあった。確かに当時のSEED及びDESTINYではないだろう。でも当然のことである。だってFREEDOMは2006年最初の発表で制作されたものではないし、制作陣もこの20年に渡る批判を当然知っているし、何より現実世界と我々が20年の年を経た。ツインタワービル崩壊に端を発した世界の混乱に影響されたSEEDの頃は誰もロシアが大々的に戦争を始めるなんて思ってなかった。美術とは、音楽小説漫画映画とは、社会に生きる我々によって生み出されその時代を生きる我々が享受するものである。あと2006年にはガンダムビルドシリーズもなかった、当時の制作であればアスランはズゴックに乗っていない。アッガイに乗っている。
ここまでスマホで打ったけど長すぎた。
ところで私はガンダムSEEDのことは良作だと思っている。ガンダムSEED DESTINYのことは駄作だと思っている。でも好きなのはガンダムSEED DESTINYで、主人公のシン・アスカで、彼の乗機のインパルス及びデスティニーのことがずっと好きだった訳である。公開前に開示された公式情報にはシンの姿があって、インパルスの姿もあった。しかしながら大変に不安しかなかった。
先述の主人公(笑)とネット上で呼ばわられたのはガンダムSEED DESTINYの主人公シン・アスカのことである。話題作となったガンダムSEED終了の1年後に放送されたDESTINY、前主人公キラ・ヤマトに代わる新たな主人公。ガンダムTVシリーズでは初の1話時点で正規軍人であるシンは、OPアバンにてSEEDでキラが戦闘しているその目下で避難する一般市民として描写され、キラたちの戦闘の余波により2024年だともうちょっとぼかされるかもっとアップで匂わせられるような描写で父と母と妹を亡くし、妹の腕の前で自分だけが生き残る原因となった妹のケータイを握り締めて慟哭するところが始まる。こう書くと本当に凄惨だな。とにかく前作SEEDとは全く異なる顛末・性格・理由から戦いに身を投じるシンが、最後には主人公(笑)などと揶揄される訳である。それは脚本の迷走と呼ばれたもので、2024年の今明かされた情報を総合すれば本来放送前に年単位で準備するはずの全50話の「ガンダム」が、人気だからという理由でたった1年だけの準備期間で始まってしまったが故の悲劇である。余談だけどこの準備期間1年、当時土6と呼ばれていた枠を繋いでいたのはポルノグラフィティが最初のOPを務めた方の鋼の錬金術師である。
とにかくシンはメタ的に不遇だった。インパクトのある1話のわりに1クール目の主人公は前作主人公のライバル的ポジションだったアスラン・ザラが務めたようなもの。たまに描写されたなと思ったら暗い部屋で妹のケータイで亡き妹の写真を見たり待ち受け音声を聞いたり、アスラン含む前作キャラすげぇ…とかしている。語弊はあるが大体そんな感じ。これで隠居していた前作主人公キラが劇中で大々的に動き始めると完全に悪役のような立ち位置にシフトしてしまう。最後のEDクレジットではキラ、アスランに次ぐ3番目に名を連ねることになり、ここから主人公(笑)という蔑称が決定的になった。このへんで監督が「シンが主人公というつもりはなかった」「初めからキラ、アスラン、シンが主人公」みたいな盛大な梯子外しをしたのは許してない。シンの声優である鈴村健一がシンのヒロイン・ルナマリアの声優である坂本真綾と結婚したときに「当時は別の人と付き合ってたような(^-^;)」みたいなツイートしてたのは一番許してない。結果として監督は視聴者の転がし方を、作品の魅せ方を作劇にしろ映像外のツイート(ポスト)にしろよくよく理解しているエンターテイナーであることは大いに認めるし感謝するけどそれはそれとして許してないし嫌い。あと3人が主人公的な発言してたけど映画のパンフレット類や2023年の発売されたDESTINYのBD-BOXでは音楽を担当した作曲家や各声優陣が「主人公が交代した」という旨のコメントをしている。こ、この~!!
とにかくシン・アスカは主人公ではなくなった。FREEDOMの主人公はSEEDから続けてキラ・ヤマトである。それはいい。20年も経てば諦めるし納得する。でもまだ懸念事項がある。彼の乗機であるデスティニーが公開前情報にはいないのである。インパルスはあるじゃん、そう思うもののしかしガンダムシリーズのお約束として、最終的にシンは主人公じゃなくなったものの主人公のお約束としてインパルスからデスティニーへと乗り換えをしているのである。00で主人公の刹那は00ガンダムではなく最初の愛機であるエクシアとセカンドシーズンのラストバトルに臨んだけど、シンの場合は前の乗機に乗り換えるとスマートに考える訳にはいかない。シンがデスティニーに乗るのと同時にインパルスはルナマリアの乗機として譲られているので。また余談だけどインパルスはSEEDの戦争が一度停戦して後、新たな条約を批准する中で開発された新型のセカンドシリーズでも肝煎りの機体である。いわゆる合体機構を搭載し、軍内部でも秘匿され、シンはDESTINY開始前に最新鋭機インパルスのテストパイロットに抜擢されたという前提がある。リマスター版あたりではシンが合体前の機体=コアスプレンダーに搭乗するアップのシーンでは機体にSHINN ASUKAの名前がきらりと光っている。
とにかくとにかくデスティニーの姿はなかった。DESTINYで倒されるべき悪役側として描かれてしまったシンが守っていた世界を変えると嘯かれキラたちに否定されたプランが「デスティニープラン」だったので、その名を冠するデスティニーはFREEDOMの世界には登場できないのでは?などと散々噂されていたし、シンはワンオフ機であるガンダムではなく別の量産機体に乗るのでは?まで囁かれていた。本当に嫌いだけど監督の魅せ方は巧い。
ここらへんもいろいろあるんだけど結果としてデスティニーは登場した。2時間の映画の中でガンダムお決まりの乗り換えイベントを、しかも刹那とエクシアの例と同じくロボアニメでとっても燃える前機体への乗り換えをやってくれた。本当に嫌いだけど監督の魅せ方は略。
シンと同じくデスティニーもDESTINYでは不遇機体だった。キラたちの機体がインチキみたいな強さで描写され最後の決戦もキラとアスランは機体無傷でデスティニーは半壊とかいう一種グロい描写でDESTINYアニメは終わったのである。お陰でデスティニーは大したことない、近中遠距離対応とはいうもののどれにも半端な機体、腕なくなったら終わり、インパルスでいい、ビジュアルが悪役等々散々な評価だった。それでも私はシンとデスティニーが好きだった。ええやろ血涙めいたアイカメラの隈取り!
FREEDOM劇中での活躍はどうだったのか。蓋を開けてみたらとんでもないことになっていた。この20年間の悪評を全て聞き入れて全て覆すような戦闘シーンが劇場のスクリーンいっぱいに描かれた。近中遠距離対応とはこういうことだ、全てを受け入れたシン・アスカの戦闘に応える武装だ、シンのための機体だ。なんかDESTINYで登場したCV西川貴教のエリートパイロットが搭乗する予定だったハイネ専用デスティニーとかあった気がするけどペーパープランだぜ気のせいだぜ。腕なくなったら終わり? 腕もげるもんならもいでみろ、できるならな! 分身は、こうやるんだァアアアア!! 知らないよこんな武器! お、オレらも知らん…! 何それ…!? コックピットと駆動系以外弄ってない!? 武装は当時のまま!? 嘘やろ!! ヴォワチュール・リュミエールってそんなんでしたっけ!? アマゾンプライム配信で真面目に数えた有識者によると103体ぐらい分身してるらしい。これが寝惚けてない分身…! いけーっフラッシュエッジ! そこだっアロンダイト! ぶちかませ名無しの長距離砲! パルマ・フィオキーナ!! ゼ……ゼウスシルエット!? DESTINY当時オーブの地下政府中枢を確実に破壊するために設計され放棄されたザフトの武装で、シン・アスカが、DESTINY当時あんなに愛して憎んだ故国を……守った!?!?
心が読める・洗脳するインチキ人種が敵だったFREEDOM、シンも洗脳を受けそうになるけれど彼の心を守ったのは……小説版では彼女だけではなく家族や友人、亡くした人たちの愛がシンを……ここで私は成仏した。
ガンダムSEEDは宗教が機能しなくなった世界の人種間戦争で、思想と思想の争いである。敵は思想なので、首魁に見える人間がいなくなってもまた同じ思想を持った人間が現れる。宇宙コロニーに核打ったり報復に地球に核エネルギーを封じる兵器を打ち込んだりするヤバヤバ世界である。キラたちはどうやってこの戦争を終わらせるか、20年前のSEEDからずっと葛藤している。FREEDOMが受け入れられない人の中にはこの答えが示されなかったと言う人もいた。
でもガンダムSEED FREEDOMは、まるでSEEDとは思えないような直球の答えを出している。戦争を止める方法は愛だと。それは誰かを愛することであり、隣人への愛であり、最後のモノローグに語られるようにほんのちいさな一歩、あなたのことを聞かせてもらうこと、私のことを聞いてもらうこと。実にシンプルな答えである。
もちろんこれだけで戦争が終わるはずはないけど、結局終わらせるための最初の一歩は間違いなく愛から始まるのだろう。20年前からずっと散々な物議を醸してきたSEEDシリーズはこう結論を示した。
ガンダムSEED FREEDOMはこの20年があったからこその作品である。20年前ではいけなかったし、たぶん10年前でも受け入れられなかった。20年の時を経て、世界の、我々の変わったこと、あるいは変わらないものに訴え、切り込み、爆発した作品である。
シンは「いくら綺麗に花が咲いても人はまた吹き飛ばす」と嘆いて、キラは「それでも僕らはまた花を植えるよ」と答えた。FREEDOMはッシャアオラァ!!花植えに行くぞォ!!のテンションだと言及したインターネットユーザーは言い得て妙である。
そんなファンのいるガンダムSEED FREEDOMが好き好き大好き♪
ガンダム系は基本的にバンダイのものなので今を過ぎたらバンダイナムコチャンネルでしか視聴できなくなる可能性が大いにある!
みんな、アマゾンプライム(もしくはネットフリックス)で機動戦士ガンダムSEED FREEDOMを観てくれよな!!
閉じる