狭間で告白する紅来のおはなしを拝見して考えてたんだけど、以前旧じゃなかった頃かも知れないTwitterかどこかで拝見したような気がする、「一緒にいきたかった」が生きたかったで行きたかったで逝きたかったということだったと思うんだけど、然るにこの「君」は文脈的に紅嘉さんを紅運さんと同一視してる方に見えるけど仮にそうだとして、でも紅嘉さん自身が「いいぜ」って言ってるならそれが客観的にどれだけ不幸でも絶望でも救いがなくても、それが一つの愛のかたち、あるいはそこから本当の愛になって愛を知っていくんじゃないかな…愛という概念そのものが不定形の化け物では…とか悶々と
No.1290, No.1289, No.1288, No.1287, No.1286, No.1285, No.1284[7件]
あと藤芦さんといえば雷の鳴る雨中の暗い部屋か縁側だと思ってるフシがあるので、そ、そうかまだ縁側未遂なのか…!?ってビックリしたし縁側に関してはちょっと写楽さんと混同してるとこあるなコレ
「幸せにする」って言うのが芦雪さんで藤仁さんではない、形ある証は欲しがるのに言葉にしないっていうの、確実に果たせない約束はしないとか自分自身について未来に残しておきたいものがないとかなのかな…と変な深読みをして勝手に悲しくなったけどたぶんちがう
違うと思うけどもしも自分のだとしたらどこが趣味とヘキに響いたのか知りたいな~
いっつも作文したら偉いのでこれができれば何か変わると思ってるんだけどいざできても何もないという宇宙の真理とバーンアウトするという話と貴重なお時間を頂いて恐縮ですね…ありがとう…という話
5ヵ月滞納した作文を終わらせた自分は間違いなく宇宙イチ最高に偉いんだけど、だからって何も変わらないというかその行動はこの世において何の意味もないというか等価というか、しかし自分という絶対値の中ではやはり間違いなく偉いのでそこにしか意味はないんだけど、それはそれとして自分にしか意味と価値がないはずのものを誰かが見て下さってくれたような感じがあるので絶対値の内的世界以外にも意味が生まれることがあるんだなあ、と思うなどした
ここ2,3ヶ月毎日ネッコに起こされるのを抜きにしても起床時間まで継続して寝られず必ず1,2時間前に一度目が覚める暮らしをしてて、もう歳だから途中覚醒しちゃうんだ…いっぱい寝られる体力なくなったんだ…と思ってたけど昨日今日は怠惰でだるだるな起床をしたので、夏休み営業が終わるストレスから解放されたためか通常営業が始まるストレスを感じているためか、それともウッカリ5ヶ月もかかった14話が更新されてストレスフリーになったのかもうわからない