人物・用語一覧

 当サイトの創作における人物等の解釈・設定一覧
 必ずしも史実に即しておらず、また不明な点を都合のいい妄想で補っている部分が多々あります
 ※性格や思考、態度に関しては完全に妄想です
 

人物 →人物相関図

ルドルフ(ルドルフ4世/ルドルフ・フォン・ハプスブルク)


ハプスブルク家の若き当主。オーストリア(大)公。政治的悪童。後の世には建設公と呼ばれる。
「ルドルフ」の名はハプスブルクを興した曾祖父、神君・ルドルフ1世に由来。
父・賢公アルブレヒト2世没時兄弟で唯一成人していたため領地の単独統治者となる。
その際父の旧臣はごっそり排除した。
妻はカタリーナ。義父にして皇帝・カール4世は目下の政敵。
お義父さんの話は聞かないが目的があればさっさと和解する。でもすぐ反故にする。それで何か問題が?
野心家。大公とか勝手に称号作って名乗るし偽造文書とか堂々と提出するし日付の改竄とか隠さずやってのける。
今日も宰相ヨハンと共に義父(と弟)の頭を抱えさせ、領内の司教を追い詰める。
短い人生を振り返ることなく駆け抜けた。

カール(カール4世/カール・フォン・ルクセンブルク)


神聖ローマ皇帝。ボヘミア王。文人皇帝。苦労人。教養高い現実主義者。
青年期までで幽閉されたり人質同然にパリに送られたり父に遠征に連れ回されたり毒殺されかけたりした。
娘にカタリーナ。婿のルドルフは頭痛の種。
息子に恵まれなかったためゆくゆくは婿殿を共同統治者に、とか当初考えてた。
無理。婿殿とんでもなかった。絶対無理。
金印勅書を発布して皇帝選挙権を持つ七選帝侯からハプスブルク家をハブった。
ハブった引け目かハプスブルクとの直接対立を避けてか、婿殿の数々のやらかしに強く出ることもせず曖昧に済ませる。
おかげで後世ハプスブルクによる帝国統治の地盤を整えたと言われる。他称名誉ハプスブルク人。ちがうそんなはずじゃなかった。

ヨハン(ヨハン・リビ/ヨハネス・フォン・リビ・プラッツハイム(レンツブルク))


ルドルフの宰相。グルク、ブリクセンの司教でもある。
レンツブルク出身。パリ、ボローニャの大学で学問を修めた当代一の大教養人。
ルドルフの伯母・アグネスの政治サークルで頭角を現し、彼女によって宰相に推薦された。
大特許状、ウィーン大学設立文書、シュテファン大聖堂の祈祷文などの立役者。
己の君主に関しては孫を見守るような気持ちで接しているがやれと言われれば徹底的に付き合う。
食えない人。絶対楽しんでる。だって主君のあんな荒唐無稽なお手紙作成止めなかったし。
ルドルフの死後もハプスブルク家に仕え、チロルをヴィッテルスバッハ家から守り抜いた。

アルブレヒト(アルブレヒト2世/アルブレヒト・フォン・ハプスブルク)


ハプスブルク家の前当主にして前オーストリア公。賢公。
聖界入りするはずが司教就任を拒否され出戻り。その後統治者たる兄や弟を支えた。
その兄弟たちも先に亡くなり、最終的にハプスブルク領の単独統治者となる。
治世時から賢公・平和公と呼ばれ領民たちから愛された。
穏やかで聡明。二代の皇帝からの信頼も得ている。長男の性格は父に似なかった。
毒殺未遂以降手足が麻痺し、ルドルフ誕生時点で立つこともままならない身だった。
妻との間になかなか子が生まれなかったが、結婚後15年経って待望の息子を授かる。
が、あらぬ醜聞が流れたため息子に神君と同じ名をつけ、自分の実子だと領内に触れ回った。
死没する数年前に兄弟は仲良くしなさい、家臣はそれをよく支えなさいと家法を出したが…

カタリーナ(カタリーナ・フォン・ルクセンブルク)


カールの娘。ルドルフの妻。
彼女が2歳のときに4歳のルドルフとの婚約がカール・アルブレヒトの間で持ち上がる。
7歳で正式に婚約。12歳で結婚した。
愛情深く育ててくれた父を敬愛し夫を慕っている。同時に二人の不仲を理解してもいる。
結婚して初めての妻としての務めは夫と父の仲裁。男の人ってどうしようもない。
夫の死後、子のなかったカタリーナはプラハに戻り、ヴィッテルスバッハ家のブランデンブルク選帝侯オットー5世の元へ嫁いだがまたも子のないまま夫に先立たれる。
その後、ルクセンブルク家の女性でありながら余生をハプスブルク領ウィーンで過ごした。
死後シュテファン大聖堂にてルドルフの隣に祭られる。

アルブレヒト(アルブレヒト3世/アルブレヒト・フォン・ハプスブルク)


アルブレヒト賢公の三男。ルドルフの10歳下の弟。
大人しく控え目な性格。
長兄のことは怖いと思っている。弟のレオポルトからは軟弱と誹られて胃が痛い。
ルドルフの死後はレオポルトと共に領内を共同統治し、兄が始めた大学創設、大聖堂建設も引き継ぐ。聖書等を集め文化保護に勤しんだ。
またカールの娘(カタリーナの異母妹)エリーザベトと結婚し長兄と同じく義父と娘婿の関係となる。なおこの結婚は元義姉であるカタリーナの再婚と同じ日・同じ場所であり、後に未亡人となったカタリーナをウィーンに迎えることになる。
この姻戚関係のためかレオポルトの家系とは内戦直前まで対立することとなる。

レオポルト(レオポルト3世/レオポルト・フォン・ハプスブルク)


アルブレヒト賢公の四男。ルドルフの12歳下の弟。
苛烈で騎士然とした性格。
長兄のことは心から尊敬している。ルドルフの遺体を運んだ者たちには自ら報償を与えた。
兄アルブレヒトにはもっとしっかりして欲しい。のにルクセンブルクに日和られた。激おこ。
そんな兄とは領内を分割。共同統治ではあるものの対立する。
兄ルドルフの獲得したチロルの防衛、スイス諸都市との融和・対立ののちアルブレヒトに先んじてゼンパッハで戦死した。
死後は祖父アルブレヒト1世を弔うために建立されたケーニヒスフェルデン修道院に埋葬される。
皇帝位を百年以上ぶりに取り戻したのはアルブレヒト系だが、皇帝位の世襲化に成功するのはレオポルト系。

フリードリヒ(フリードリヒ3世/フリードリヒ・フォン・ハプスブルク)


アルブレヒト賢公の次男。ルドルフの8歳下の弟。
いずれ兄と共に家を継ぐ者として兄弟中最も近くからルドルフの辣腕を見てきた。
弟たちと共にアクイレイア大司教領への侵攻にも同行している。
15歳にして兄に先んじて世を去った。


アグネス

ルドルフの伯母。アルブレヒト賢公の姉。ハンガリー王に嫁いでいたが死別後ハプスブルクに戻る。
父(ルドルフにとっては祖父)アルブレヒト1世の暗殺に際して犯人(アグネスにとっては従兄)を母と共に一族郎党嬰児まで追及した。
ハプスブルク家の政治顧問のような立場にあり、ヨハンをルドルフの宰相に推薦。
また弟アルブレヒトが当主の際には北スイス及びアルザスの統治を委任されていた。
父アルブレヒト1世(ルドルフの祖父)を弔うケーニヒスフェルデン女子修道院の院長でもあった。ルドルフからの認識は老女狐。

ヨハンナ(ヨハンナ・フォン・プフィルト)

ルドルフの母。アルブレヒト賢公の妻。
長らく子を授からなかったが結婚後15年目にして39歳の高齢でルドルフを出産。ハプスブルク家を断絶から救う。
賢明で思慮深くしたたか。どちらか言うとルドルフの性格は母親似。不自由な夫に代わりに対立するカールや大司教と和平を結んだ。
末子レオポルトの出産と引き換えにこの世を去る。

用語

ハプスブルク家

神君・ルドルフ1世のローマ王選出により台頭した一族。ルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家と帝国を三分し対立する。
スイス北東部・ライン川上流域が発祥の地。ルドルフ4世の時代には本拠はウィーン。
なお父祖の地スイスは神君以前からハプスブルク家に対立する機運があり、賢公が治世中唯一戦闘行為に及んだチューリヒとの対立からレオポルトによるゼンパッハの戦いで実質ハプスブルクの手を離れた。
家名の由来は「鷹の城(ハバヒツブルク)」。でも紋章は双頭の鷲。鷹も鷲も一緒だから。実はこれはルドルフの時代には家紋ではない。

ルクセンブルク家

ハプスブルク家、ヴィッテルスバッハ家と帝国を三分し対立する。
ルクセンブルクを発祥とする。カール4世の時代には本拠はプラハ。紋章は獅子。

大公

エルツヘルツォーク。ルドルフが勝手に作って勝手に名乗り始めた称号。何なら冠と標章まで勝手に作った。
カールの金印勅書によりハプスブルク家が選帝侯から除外されたため、選帝侯より上位の権利を持つ称号として振る舞った。
「司教」の上には「大司教」がいるんだから「公」の上に「大公」がいてもいいだろう、というノリ。全然よくない。
僭称だが大特許状以降処遇が曖昧となり、ルドルフの死後に弟レオポルトの孫・皇帝フリードリヒ3世がハプスブルク家のみが持つ正式な称号と認めた。
ルドルフの言った者勝ち・やった者勝ち精神の代表格。

大特許状

大公詐称に関してカールに追求された際、名乗りの根拠としてルドルフが提出した証拠書類。
堂々たる偽造文書。五枚の特許状と二通の手紙。貴重なものだからコピーで勘弁、という体で提出された。喧嘩を売っている。
カールは偽書だと承知の上でハプスブルク家からの要求書と割り切り精査。特許状の方はよくできていた。さすが大教養人ヨハン作。
しかし手紙の方がダメ過ぎた。古代ローマ皇帝カエサル・ネロからの手紙て。ハプスブルクは彼らの一門て。あんまり過ぎ。酷い。
あんまりだがルドルフの気迫と徹底抗議・引いては抗戦の表れでもある。つまり本当に喧嘩を売っていた。
最終的にカールは処遇を曖昧にし、なんとなく大公位・大特許状が認められる流れを作ってしまう。そんなはずじゃ全然なかった。

金印勅書

カールが発布した公文書。
曖昧だった皇帝選挙権を持つ七選帝侯を明確に定め、対立するハプスブルク家、ヴィッテルスバッハ家を選帝侯から除外する。
もちろん自分のルクセンブルク家はしっかり選帝侯に含めている。
発布自体はルドルフの父・アルブレヒトの代だが、この金印勅書に対抗するためルドルフは大公詐称に始まる数々を画策する。
18/1/6 当サイトでのみの話であり決して史実ではない部分や意図的に省略している部分が多々あります