ポリウレタン境界戦線

*BL/R-18*転生現パロ

 極たまに外出する以外、家にいてばかりの青年に見かねて声をかける。とはいえもちろん洒落た店に二人で出かける訳でもなく、近所のドラッグストアへの買い出しに誘っただけである。
 揶揄するでなく然りとて喜ぶでもなく、つまり可もなく不可もない態度でついてきた青年は店内に入った瞬間ふらりといなくなってしまった。小さな子どもでもあるまいし、ひさしぶりの店が物珍しいのだろう。帰りになっても姿が見えなければスマホで呼び出せばいい。そう思って特に探すこともせず自分の用事を済ませることにした。
 必要なのは洗濯用台所用洗剤、トイレットペーパー、そういえばシャンプー類も残りが少なくなっていたか。足りないものを思い返しながら、ついでだからとカゴに放り込んでゆく。安いものについては二、三点まとめてだ。出不精というわけではないが買い物は一度に済ませておきたいタイプである。今日は青年もいることだし、多少荷物が多くなっても手分けして持ち帰れる。
 そこそこに詰まったカゴを手に、研修中の札をつけた女性店員の待つレジカウンターに並ぶ。店員はカールが教鞭を振るう学生ほどの歳で、顔こそ見覚えはないが事実在学生かも知れない。最寄りでこそないがこのドラッグストアは十分カールの勤める大学に近い。
 少しばかり身構えたがあくまでもしかするとの話だ。仮に事実だったとしてもゼミ生や受講生でもない限りそう関わりもない。恥ずかしいものを買っているわけでなし、堂々としていればいい。むしろ研修中らしい彼女が、愛想良く弾むように言う「いらっしゃいませ」の裏で大量の購入品に苛立っていないかの方が気になった。
 一点ずつ丁寧に清算されていく商品を、若干気を揉みながら見送る。今か今かと終わりを待つ間に最後の一点を店員が手に取り、カールが安堵した瞬間、先ほどの店員以上に愛想の良い声が割り込んだ。
「すいません、これも一緒にお願いします」
 するりと伸びてきた細い腕が空になっていたカゴにそっと、品物を追加する。
「は――」
 それが何かを認めた瞬間、悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。
 しかし代わりに言葉を失ったのはまずかったと思う。割り込む声にかしこまりましたと答える女性の声が不自然に詰まった。動揺を残す指先はそれでも健気に職務を思い出し、追加された商品を一つ、一つとレジに通してゆく。
 つまり丸っこく細長くほんのりとピンク色をしたボトルと、小数点付き三桁の数字がやたら自己主張するデザインの箱を。
 お会計いくらになります、という店員の声が少しばかり上擦っていた。とてもじゃないが顔を見ることはできない。俯いた視線の先では会計された商品に被せるように黒いレジ袋が乗っていた。その気遣いが胸に痛い。
「おとーさん」
 更に投げかけてくる言葉はわざとか。わざとなのか。機嫌の良い声に対面する女性店員の動揺が空気で伝わってくる。
「お会計。俺、袋詰めしてますから」
 そう言ってさっさと持ち去られるカゴ。空のカウンターでカールは財布を取り出し、上擦る声で告げられた金額を紙幣と硬貨でぴったりキャッシュトレイに乗せた。レシート要りません、とだけ辛うじて告げて、後は全てを意識から閉め出す。研修中の彼女はいったい何を思っただろうか、などと考えないように。考えないようにするということはつまり考えてしまっているのだという矛盾にも目を瞑って。
 ふらつく足取りでサッカー台へと向かう。既に手早く荷詰めを終わらせた青年がにこやかに待っていた。差し出されたレジ袋を一つ受け取り――なおこちらは通常の半透明のレジ袋で、青年が左手に提げるぱんぱんに膨らんだ袋も同じものである。右手に提げられた黒く薄っぺらい袋の方は見なかったことにした――言葉も交わさず出口へと向かった。青年も無言のまま後ろに続く。
 店の外に出た瞬間、初夏を思わせる強い日差しに目を細めた。午後の光はどこか霞んでいて非現実である。駐車場を抜けるまでに主婦や家族連れとすれ違ったが、カールの意識はどこか浮ついていてその光景すらすり抜ける。帰路につくまま歩道に出たが、面する車道が車通りのまばらな場所で幸いだった。覚束ない足下のまま車道側に向かってまろび出ていたかも知れない。
 微かに機能する理性が意識を総動員する。ここまで気が遠のいているのは何故か。決まっている。背後から微かに聞こえてくる上機嫌な鼻歌に、カールはついに振り向いた。
 まるで小さな子どものように、青年は境界ブロックの上を歩いていた。これもまた車通りの少ない場所で幸いだった例である。さすがにこんなに大きな子どもに危ないからやめなさいと声をかけたくはないし、重たげなレジ袋と陽光に不似合いな黒いレジ袋を持った腕をやじろべえのように伸ばし、弾むように歩く青年の機嫌の良さときたらない。ない。いろんな意味で。本当にない。
 さすがにカールの視線に気づいたのか、足下を見ていた青年はついと顔を上げた。空色の瞳を細めて、ん、と小首を傾げてみせる。
「ルっ……」
 ――その意図的な仕草にようやく、浮遊していた意識が怒気になって戻ってきた。
「ドルフ!」
「はい。やっと喋りましたね? カール」
 青年――ルドルフが悪戯げに笑ってみせるが冗談ではない。
 どっと背中に汗が噴き出すのは遅れてきた冷や汗か、怒りに熱を持ったが故か。挑発的にくるくると回される黒い袋には目眩すら覚える。真面目に聞けという思いと中身が飛び出しやしないかという焦燥で。
「君――君は、どういうつもりで、」
「買い忘れを足しただけでしょう。二人で使うものですし、一緒に精算してもらうことに問題がありました?」
「そっ……使……!」
 二人で、という点に言葉を詰まらせる。相手の思うつぼだとわかっているのだが、日中の公道で堂々と夜のことを持ち出されるとさすがにひやっとする。慌ててあたりを見回すが、閑散と車道を車がゆくばかりで人の姿はない。安堵して反駁する。
「いや違う、普段そういうものはネットで買っているだろう君は!」
「よくご存じですね。でもちょうど切れる寸前だって思い出したのが店頭なら、やっぱりそこで買う方が早いでしょう?」
 詭弁だ。逸る心を抑えつけて考える。
 この用意周到な青年が補充を忘れることなどまずない。恐らく家には在庫がある、あるいは既に通販済みのはずだ。……昼日中の公道でラブローションとコンドームについてこんなに真剣に考える空しさと、ついでに年若い相手が先んじて性生活に必要なものを準備していることに対するよくわからない申し訳なさ、更にそんな関係と生活を受け入れている罪悪感が頭をもたげるが全て無視する。今はこの、手のかかる青年の真の主張を探らねばならない。
 しかしカールの思考は一足遅かった。ルドルフが縁石の上でぴたりと足を止める。
「やっぱり」
 ふっと笑う顔に、散々見たよくないものを察した。
「迷惑ですか、俺との関係は」
「……それは思考の飛躍だろう」
 呻く。初夏も近い日差しの下、薄氷を踏むような感覚。
 図太く振る舞うくせに、ルドルフは時折こうして自傷めいた真似をする。それは今の生活に至るまでの騒動そのものであり、落ち着くべきに落ち着いた現在にも残っている。片鱗はカールのものであってカールものでない記憶にも微かに残っているような気がした。つまり筋金入りのものである。
 慎重に言葉を踏む。こうなる前にこの子の言わんとすることを察してやらなければならなかったのにと思いながら。
「仮に私と君の関係でなくても、ああやって見せつけるみたいにされれば動揺する」
「堂々としていればいいでしょう。店で売っているものですし、店員だっていちいち気にしませんよ。変に動揺してる方が目立ちます」
 果たして研修中らしい年若い女性店員が気にしないものだろうか、というのは先方の問題なので目を瞑る。
 むしろこの、煽る物言いだ。ここに本心がある。つまり彼は「何故堂々としないのか」「何故動揺するのか」と言いたいわけだ。問題の本質はこの言葉の裏、即ち、
「君との関係を恥じるつもりはない」
 この言葉が欲しいのだ。
 ルドルフの瞳が揺れたような気がした。
 初めて動揺を誘えたことに安堵する。間違いなく本心を拾えたのだと、思えば傲慢だったのかも知れない。でなければ単純に浅慮だったと言える。続く言葉は明らかに余計だった。
 まだ若く、未来のある青年を思ってのものだった。そのつもりだった。彼がどれほどの過去を費やしてきたのかなど、蜃気楼程度の記憶しか持たないカールは失念していた。
「だが――しかしだな、私はともかく、君がおかしく思われるようなことがあったら、と」
「何ですかそれ」
 低音が響く。ぎくりとして見れば、揺れたばかりの瞳に昏い影が差している。不安定な境界に立ちながら大きな子どもは微かに肩を震わせていた。
「俺が今更そんなことを気にするとでも? 本気で言ってるんですか」
「ル……」
「俺はとうに、全部! 俺が持てるものなんて貴方と出会うために捨てたんだ! 今更失うものも惜しいものもない!」
 がじゃりと不快な音がする。薄氷を踏み抜くに似た音。激昂と共に振られたレジ袋がけたたましく鳴っていた。袋の口から覗くシャンプーのノズルが滑稽で、些細な日常の片鱗は不協和音ですらある。
 言葉を失うカールの前で不意にルドルフが笑った。乾いた声がアスファルトに落ちる。
「正直に仰ってください。貴方には保身の気持ちがおありでしょう、カール。俺との関係がもしも誰かに知られたら、と」
 ぎくりとした。
 無論だ。後ろめたさはあれど、カールには否定できない。もしもレジの店員が勤め先の学生だったらと思考した瞬間が蘇る。
 誰だってそうだろう。仮に種の本能、性別を超えた真の愛があったとして。それを誰憚ることなく場所を選ぶこともなく、喧伝するように振る舞える人間がどれほどいるだろう。少なくともカールはまだそんな域には至っていない。包み隠さず振る舞うにはヘテロセクシャルとして生きてきた時間が長すぎて、常識が構築され切っている。
 ルドルフがふるりと首を振った。車道を走り抜ける車に煽られて、柔らかい赤毛が不穏に靡いた。
「責めてるわけじゃないんです、当たり前です。貴方はここでもきちんと妻子を得た。……貴方は優しいから、俺に絆されて付き合ってくださっている。きっと貴方の思い出したことだって、いえ、かつての貴方だって――」
 白む陽光に声が溶ける。通り抜ける走行音に潰れてゆく。
 ルドルフの身体が傾いだ。制限速度を超えて通過した大型トラックの風圧に煽られて、境界の上でついに崩れた身体は向こう側へと落ちてゆく。
 見たことのないはずの、彼が尽きる瞬間が見えた――ような気がした。
「『婿殿』!」
「――ッ!!」
 咄嗟に伸ばした手はまだ間に合う。
 落ちゆく腕を掴んで、瞬間その細さにぞっとした。抱き込むようにして胸に引き寄せれば受け止めた身体は軽い。
 数歩たたらを踏む。後続の車がいなかったこと、そして相変わらず通行人が自分たち以外いなかったことに深く感謝した。仮に何か少し違えば大惨事になっていただろうし、命とは簡単に失われるものだ。繋ぎ止めた青年をきつく抱き締めて嘆息した。
「お、義父、さん」
「……君は、少しは反省しなさい」
「……すみません」
 今の関係に相応しくない呼び方は、カールの方は咄嗟のものだったとはいえお互い様だ。震えながらくぐもった声を漏らす『婿殿』の頭を、ぐっと胸元に寄せてやった。
 カールには蜃気楼程度の記憶しかない。随分と長い間ただの人として生きてきて――今思えばほんの少しだけ疑問となることもあったが――嵐のように現れたルドルフに引きずり出された程度の記憶だ。実感が伴わないそれは昔見た映画のようなもので、カールの認識を根底から覆すほどではない。
 ただし、この子どもに限っては当てはまらない。咄嗟に呼ぶ声が名前ではないあたり、カールの思ったよりも深くに根ざしているのだろう。
「確かに、君の言うかつての私が君に対してどう思っていたか、その感情が君が望むものだったかはわからない。今の自分の立場に対して保身の気持ちがあることも事実だ」
「……はい」
 二人に挟まれたレジ袋がぐずるに似た音を立てた。
 絶望したような低い青年の声に溜め息をつく。びくりと震える肩を強く抱き締め、カールは諦めの声を上げた。今まで培ってきた常識への諦めだった。
「しかし――今、私が君に抱く感情だけは信じてくれないか。君がいない人生の方が長かったから世間体への意識はすぐには変えられそうにもないが、少なくとも、その、二人で歩くのを見られて困る程なら君を誘って出かけたりはしないし……そもそも、ど、同棲、したりもしない」
 セックスも、とは、さすがに飲み込んだ。
 代わりに眼下の頭頂部に唇を落として腕を緩める。そろそろと顔を上げたルドルフの目端が赤く染まっていた。じっと、言葉の真意を透かすように見つめられ、やがてこくりとちいさく頷く。薄く開いた唇からほうと息が漏れて、そして淡く緩く、しかし確かに笑みを象る。
 早く家に帰ろうと思った。ルドルフの杞憂は尤もだが、こんな少しの仕草にキスしたいと思う自分を知ったらこの子は果たしてどう思うだろうか。


 玄関に入り、後ろ手に鍵を閉める。先に入らせたルドルフの肩をそっと、しかしもどかしく掴んで振り向かせ、見開かれる瞳も構わずに口づけた。
「カー、ルっ……ん、」
 名前を呼んで薄く開かれる唇を舌でなぞり、突然のことに強張る舌を絡め取った。くちゅ、と微かな音が鳴り、触れる薄い身体が確かな熱を持つ。
 手のひらに馴染む温度を心地良く思いながら、手にするレジ袋をその場に落とした。割れるようなものは入っていない。空になった両腕でシューズボックス横の壁にルドルフの背を押しつけるようにして囲い込む。
 ふう、と鼻から抜ける声に、がしゃりとビニールの擦れ合う音が被さる。半透明と黒の袋を手放し、押しのけるとも縋りつくとも取れる曖昧な触れ方でルドルフはカールのシャツの胸元を掴んだ。
「ふっ……ぁ、急に、」
「駄目か」
「……だめ、じゃ、ぁ、んく」
 息継ぎの合間に漏れる声ごと塞ぎ、絡め取って飲み下す。戸惑いながらもカールが求めるまま、青年は唇を開き素直に応えてみせた。ちゅぷ、ちゅくと徐々に高まる水音を響かせ、褒めるように口蓋を舌先で擽り柔らかいところまで押し込めばかくりと身体が沈む。脱力したルドルフが崩れ落ちる寸前に押さえたままの肩を壁に縫い止め、細い足の間に膝を押し込んで支える。
 途端に、びくんっと青年の身体が跳ね上がった。薄目を開けて見つめれば真っ赤な顔で震えている。最早カールのシャツを掴む手は完全に縋るものに変わっていた。
 立ったままカールの膝に跨る格好で、もたらされる感覚に震えながら縋りつく姿がいじらしい。
 口内から舌を引き抜けばつうと銀糸が互いを結ぶ。薄暗い玄関で鈍く唾液が鈍く光る、その卑猥さに赤面する余裕すらない青年。はふ、と息を吐くタイミングで膝を揺らし、股間を少しだけ押し上げた。硬質な感触と、甘く掠れた小さな悲鳴。
「っや、あ」
「……勃っているな」
 肩から手を離し、耳の後ろを擽りながら首筋へと指を這わせる。Vネックのカットソー一枚だけの姿は触れてくれと言っているようでもあり、兆し始めた熱への指摘にかっと朱の差す様すらよく見えた。
「ぁ、だっ、て、や」
 俯きがちに首を振る青年を、咎めるように首筋に顔を寄せる。何をされるのか不安なのだろうか、少しだけ強張る身体に、しかし期待して息を呑む喉仏の隆起がよく見えた。
 望まれるがままに唇で恭しく触れ、安堵に息を吐いた瞬間にぞろりと舐め上げる。
「ひ、あ!」
 逸らされる頤にやわく歯を立てる。後頭部をぶつけないように手のひらで支えれば、深く口づける姿勢のようだと思う。感じたままにまた唇に噛みつき、舌を差し込んで絡ませる。
 喉奥と抜ける鼻声で啼きながら、不安定な姿勢にルドルフは後ろ手に壁に手をつく。もう片方のカールのシャツを掴む手はきゅうと強く、膝が小刻みに震えていた。頭を支える手で引き寄せて、肩に先ほど顎を乗せるような姿勢にさせる。素直にされるがままのルドルフはカールの胸元から背中へと腕を回し、口づけの角度を変えるうちにもう片方の腕も背中へと回される。
 両腕で抱きつくような格好になっていると気づいているだろうか。再び唇を解けば薄く開いたままの青年の唇からつうと唾液が垂れる。鎖骨に留まるそれを舌で掬い、太い血管を辿るようにして舐め上げた。はあ、と熱を宿して吐く息の隙間に声。
「ぁ、カー、ル、ここ、っで……?」
「今、君に触れたい」
「ん、そんっ……ひゃ、ァ!?」
 戸惑いを含む言葉に端的に答え、カットソーの裾から手を入れる。滑らかな肌を手のひらで撫で上げ、爪先に触れた尖りを押し込むようにすれば高い悲鳴が上がった。カールの膝を挟むルドルフの内腿が震え、ぎゅっと締めつけてくる。
 肩口に額を擦りつけていやいやと首を振る、幼い仕草を宥めるように乳首を指の腹で撫でる。耳朶に直接触れる喘ぎ声が心地良く、ルドルフが感じ入る様も自分の身体に熱がこもっていく様もまざまざと感じ取れた。
「ゃ、だめ、そこだめっ」
「どうして」
「やぁああ! きもち、よくなっちゃ、ぁ、う、からぁ! だめっ、だめぇ」
 幼く崩れる甘い声が嗜虐心をちりちりと煽る。否定の言葉を並べながら素直な快感を隠しきれず、朱の差す頬とじわりと潤む目尻ももっとと求めているようにしか思えない。
 煽られるまま、しこり始めた乳嘴を人差し指と親指でやわく摘まむ。くっと引っ張るようにすれば背中に微かな痛みが走った。快感に耐えるため、ルドルフが無意識に爪を立てたのだろう。逆に全身で縋りつき求める姿勢になっていることにも気づかない青年の鼓動が、密着する身体のままに伝わってくる。
「や、引っ張らないでっ」
「少し痛い方が好きだろう?」
「好きじゃないっ、好きじゃないぃ……いっ! ふぇ、ぁ、んひ」
 摘まんだ乳首をぴんと弾くようにして解放し、安堵の間も与えず爪でくじる。ばさばさと髪を振り乱して否定するわりに、泣きを交えて震える声は媚びを含んでとろけ始めていた。
 サディズムは持ち合わせていないつもりだが、この相反する姿が煽るのだと思う。幼い子どものように拒絶しながら、しなやかな青年の身体は素直に快感を享受し求める。背中に回る手は離れるどころかきつく縋りつき、膝の上に乗せたルドルフの足も不規則に震え兆し始めた熱をカールに押しつけていた。
 ぞくぞくと、爪痕を刻まれた背に這い上る感覚。労るようにつんと尖る乳頭を撫で、そのままするりとカットソーから手を引き抜く。
「じゃあ、やめようか」
「ふ、ぁ、え?」
 空になった手で、戸惑うルドルフの頬を包む。反対の頬に、鼻梁に、額や瞼の上に、ただ触れるだけの口づけを落としていく。まるでほんの数秒前までの淫行などなかったかのように。
 カールの意図にやっと気づいたのか、薄く開いたルドルフの唇が戦慄き始める。かたかたと小刻みに震える始めるが快感に対するそれとは異なり、じわじわと濡れた目を見開いていく。
「ぁ……ぁ、あ」
「どうした?」
 わざとらしく問いかけ、手つきばかりは優しく赤く柔らかい髪を耳に掛けてやる。露わになった耳朶にリップ音を立てて口づけた。
「ぅ……」
 もぞりと、ルドルフの身体が蠢く。中途半端なところで投げ出されて、淫らに上がり始めた熱を留めることもできないのだろう。は、はっと荒く息を吐き、ルドルフは震えながらカールの胸に身体を寄せた。
 覚束ない指先でカールのシャツの背に縋り、おず、と擦り寄る。カットソーの白い生地に胸の頂が見て取れ、互いの胸を合わせればぷくんとした感触が伝わるようだった。
 いつもならそのまま抱き寄せる身体を、けれどわざと引き離した。背に絡む腕をそっと解く。薄暗い中絶望したように眉を下げるルドルフの表情を真正面に捉え、思わず己の乾いた唇を舌でなぞる。
「擦りつけて、いけない子だ」
「うぁ、あ、」
 ぽろりと。
 ついに決壊した。
 ルドルフの目尻から涙がこぼれる。俯いて小刻みに首を振りながらひくりとしゃくり上げた。
「ごめ、なさ」
「……謝ることはないから」
 ぽろぽろと落ちる雫を指で拭う。そんな指にすらおずおずと顔を寄せ、けれど自制するように首を振る姿が哀れで愛おしい。
 本当に、謝る必要などどこにもない。衝動的に迫られて、理不尽に煽られて、一方的に突き放されたというのに。まるで許されたように泣きながら顔を上げる青年がカールの理性を剥ぎ取っていく。
「言ってごらん、どうして欲しい?」
「うっ……ひ、ふ、……って」
 涙を吸い取るように目尻に口づける。頬へ、口の端へ口づけて震える言葉を引き出せば、ルドルフは剥がされた指で躊躇いがちにカールの手に触れた。おず、と自分の胸元へと引き寄せていく姿に目を細める。
「さわって、ください」
「どこに?」
「ひっ」
 取られた手の甲でわざとらしく胸を撫でれば、息を呑んだルドルフがぐっと俯いた。
 そして朱を上らせて泣き濡れる顔が上がる。片手で自らカットソーを捲り上げ、ぷくんと尖る乳首を晒しながら叫ぶようにカールの問いに答えた。
「おれの、ここっ、ちくび、触って、こすってくださっアぁあ、ひっう!!」
 最後まで言い切る前に、誘われるまま乳頭をつまみ上げる。捻るようにして愛撫すれば痛みと快感に悲鳴が上がった。
 玄関の薄暗がりにもよく見える。白い肌、なだらかで薄い胸の上で赤く染まって膨らむそこ。カールが弄んでいたのは片方だけで、まだ薄く平らなもう一方の乳首との対比が酷く卑猥に映える。触れていなかった方のそれに指を伸ばせば、差し出すようにルドルフは胸を反らせた。
 自ら衣服を持ち上げて恥部を晒し、残りの手は未だにカールの腕に縋っている。背を預ける壁と、跨ぐカールの膝だけで支える不安定な姿勢で、喘ぎながらぽろぽろと快感の涙と、そしてまた許しを求める声をこぼす。
「ごめんなさ、ごめ、んんっ」
「……っは、どうして謝るのかな、君は」
 必要のない謝罪を続ける唇を唇で塞ぐ。問いながら今度はあやすために顔中に口づけを降らせる。
 この子はたまにこんなところがある。快感に迫られて喘ぐ声に大した意味はない、それはカールも知っている。だから気に留める必要もないと思っていたが、我を失ったルドルフは必ず謝罪と、自制の――あるいは自責の言葉を口にした。
「だって、これ、おればっかり、ァ、きもちよくなっちゃ、ン! きもちよくなるの、だめなのにぃ……!」
 与えられる刺激に感じ入りながら、だめ、だめと泣く子ども。
 薄暗がりに涙が光る。白けた陽光の下、不穏に傾いでいく細い身体が重なって見えた。
 性感を導くばかりだった手をそっと引く。はっと上がるルドルフの表情が絶望に染まる前に、改めて片腕で抱き寄せる。再び重なった胸は淫蕩よりも温もりを伝えて、とくとくと重なる鼓動が愛おしい。そして残る手でカットソーをたくし上げていたルドルフの手を取った。
「いいよ」
「んっ」
 耳元で囁く。軽く口づける。首を竦めて怯える子どもを宥める。
 この子が何故こうなのか、カールにはわからない。失うものも惜しいものもない、カールに出会うために捨てたという全て。そこに理由があるのか。あるいはカールにとっては夢と相違ない遠い過去、それに起因しているのか。
 わからない。わからなくても、許すことはできる。それはもしかすると酷く無責任で、傲慢なことかも知れない。それでも今身体を、唇を、心を重ねたいのは、ここにいるカールとルドルフのはずなのだから。
「気持ちよくなっていいから。……君が気持ちいい方が、私も気持ちいい」
「――っ」
 ひゅうと息を呑む音。
 溢れんばかりに見開かれる瞳。ぴくりと、ルドルフの全身が震えた。
 まるで雷に打たれでもしたような青年の頬に口づけ、ゆっくりと手を動かす。掴んだルドルフの手を、跨がせる膝の更に奥に導いた。カールのジーンズを押し上げるものに指先が触れた瞬間、ぁ、と細く声を漏らす。
「ほら……君の姿を見ているだけでこうなったんだ、わかるだろう?」
「あっ……」
 呻く声には戸惑いが多分に揺れている。先ほどわざとらしく焦らした時のそれとは違い、蜜の滴るような淫猥が見え隠れしていた。震える指でするりとカールの張り詰めたものを撫で、熱のこもった息を吐きながらやわく触れ続ける。ごくりと生唾を飲む音が響いたが、果たしてどちらのものだったのか。
 おずおずと見上げてくる瞳から自責の念は薄れている。代わりに見え隠れするのはあからさまな欲情だった。
「あ、の」
「うん」
「ぁ、う……舐め、ても?」
 気がつけばルドルフの両手が伸びていた。指先だけでやわり、やわりと、触れながら許しを待って請う。無意識だろうか、小首を傾げてねだる姿は男の官能と征服欲を十二分に煽るものだった。
 は、は、と、浅く呼吸をこぼす唇の、その奥に潜む赤に目を細める。柔らかく潤むここに突き入れればさぞかし気持ちが良いだろう。ルドルフももう、過剰なまでの怯えを捨てて望んでいる。
 それでも。カールは膝から下りようとする青年を制し、そのまま二人して床へと崩れた。
 戸惑いに目を瞬かせる青年の肩をやわく押し、背を支えながら横たわらせる。自然に伸びたかたちになるルドルフの足が、放置されっぱなしのレジ袋に触れてがしゃりと音を立てた。
「ぁ、え」
「口でするのは、次の時に」
 額に唇を落とせば首を竦める。そんな仕草を愛おしく思いながら、カールは改めてルドルフを見下ろした。
 困惑しながらもとろけた表情に、朱に染まる頬、うっすらと濡れる瞳。半端に捲れ上がるカットソーからは薄く色白い腹が覗いていて、まだ衣服に覆われた胸部では育て上げられた乳首がつんと尖って布を押し上げている。黒のスキニーに覆われた細い足はもぞもぞと揺れていて、その真ん中では欲望が隠しようもなく膨らんでいる。
 まるで男を誘う雌の身体だ。
 このまま本人の望むとおり、例えば膝立ちで顔を跨ぎジーンズを寛げて醜悪な肉棒をさらけ出せば、それでもこの子は喜んで喉奥まで咥え、奉仕するに違いない。
 けれど今は直接的な気持ちよさよりも、もっとこの子の心を満たして、幸せに追い詰める快感の方が甘美に思える。
 カールはルドルフの足をそっと割り開き、膝を立てる格好にさせてから間に滑り込んだ。
「ぁ、あの、なんで」
「言っただろう?」
「んっ……ん」
 青年のパンツの穿き口に指を掛ける。反射的にだろう、腰を浮かせたのをいいことに、下着ごと膝あたりまで一気にずり下げた。
 スキニーの窮屈な生地に押し込められていた反動だろう、ふるんと震えて若い雄が飛び出した。濃いピンク色のそれは既にじんわりと濡れていて、跳ねる反動で雫を散らした。
「ひゃっ」
「君が気持ちいい方が私も気持ちいい。だから君にはもっと、気持ちよくなって欲しい」
 そう告げて勃ち上がる雄の根元、しっとりとした薄い茂みを指で混ぜ――もう一方の手で、投げ出されたレジ袋を捉えた。ルドルフが有無も言わせずカゴに突っ込んだ、あの丸みのあるボトルを掴んで取り出す。見せつけるように殊更ゆっくりと目の前にかざせば、さっとルドルフの表情が変わった。
「そ、それっ」
「うん。……思えば君は自分で準備してばかりで、あまりこういうことはさせてくれないな」
 簡単な包装を剥がし、きゅぽんとキャップを跳ね上げる。途端、ルドルフが悲鳴を上げた。
「だめ、だめです! 俺がしますから!」
「どうして」
「だって、汚いっ……お義父さんはそんなことしないで、ぜんぶ、おれが自分でします、から、ぁ」
 ――この奉仕体質が、昔から嫌いだった。
 不意にそう思った。ルドルフが本来の関係でない呼び方をする時は余程余裕のないことの証左だが、まるで引き摺られたように当然の、けれど自覚のない感情が湧き上がるのが不思議だ。すんなりと受け入れる反面、自分ではない自分への悋気めいた火が過ぎる。苛立ちは可愛くないことを言う『婿殿』の唇に噛みついて閉じ込めた。
 細い注ぎ口から手のひらへとジェル状のローションを注ぐ。ひんやりとした感覚から少なめ、手のひらに丸く溜まる程度に。温める意図でやわく握れば、ぬちゃりと粘着質な音が玄関に存外と響いた。
「や、やだ、だめ、おとうさん、だめっ」
「言っているだろう。君に気持ちよくなって欲しいと」
 ルドルフは青くなったり赤くなったり、忙しく表情を変えながら首を横に振り続けている。フローリングの木目に赤毛と、涙になった雫が散る様に目を細めた。こんな固い床で可哀想にと思うが、最早ベッドへと場所を移す余裕もない。哀れを感じながら、表情は笑みを形作っていると自分でもわかる。
 広く、防音も確かだが、それでも扉一枚向こうは誰が通るかわからない玄関で行為に及んでいる。加えて、今の二人にとっては偽りの関係とはいえ『お義父さん』と呼ばれる倒錯。どうしても背徳感が興奮を煽っていく。
 くちゃくちゃとローションを手中で伸ばしながら、もう片方の手で半端に脱がしたスキニーを片足だけ抜き取る。靴下だけになった白い足が暴れるが既に快感に屈し始めたそれに大した力などなく、肩に担いでやった。
 自然、健気に立ち上がる陰茎とその奥に秘められた後孔が露わになる。まだきつく蕾んだそこは薄らと赤く、僅かに肉が盛り上がっている。陰茎から滴るカウパーに薄く濡れていやらしく光っていた。
 担ぎ上げたふくらはぎに口づけて、閉じようとするもう片方の足はするりと撫でて押さえ込む。カールは濡れた指をルドルフの秘所へと伸ばした。
「や、お義父さんの指、ゆび、ゆびが、ゃだ、やだうそうそ、うそっはいっちゃ、」
「私の手で気持ちよくなる君が見たい。……ルドルフ」
「は――ううううぁ、ああァア、アっ」
 濡れたカールの爪先が、肉のふちに触れる。
 つぷりと、第一関節の半分程度入り込む。熱く吸いついてくると感じた瞬間――カールの目の前で白いものがびゅるりと噴き上げた。
 肩で息をしながらルドルフの足が小刻みに震えている。白濁に濡れたペニスは赤く熟れたままなお萎えず、カールのほんの爪先を受け入れるアナルはひくひくと強く収縮を繰り返していた。収縮の度にくちくちと微かにローションの鳴る様が卑猥で思わず唾を呑む。
「ぅ、あ、あ」
 震えてひび割れる寸前の声。ぐしゃぐしゃに顔を歪めてルドルフが泣いている。藻掻くように持ち上がる腕が顔を隠す前に掴み、目尻から落ちる涙を舌で掬ってやれば顔を逸らして逃げられた。
 もっと見せてくれていいのにと、咎める意図も込めて内側の指を浅く抜き差しする。途端に跳ねる腹の上で、へそに溜まっていた精液がとろりと流れた。それにすら感じるのか、びくびくと腰が跳ねてうちがわはカールの指を更に締めつける。
「やだ、こんな、こんなのっごめ、んんっ」
「……っふ、また謝る」
「だって、ぇ、おれ、もういっちゃ、んく」
 誤り癖は何度も口づけて飲み込んでやる。今のルドルフは戸惑いの末にこの言葉を吐いているのだと思えば、未知の嫉妬は湧かずただ心地いい。
 ペニスに直接触れたわけでもなく、施したのは胸への愛撫だけ。カールを受け入れる秘所にはほとんど触れただけだ。自分の指で、相手が自分だからこそ酷く敏感で容易に乱れる身体はカールには好ましく見えるが、きっとルドルフにとっては羞恥を呼び起こすものなのだろう。ままならない身体に戸惑い泣く姿も愛おしい。
 そう思っていたのに、口づけから解放された青年の譫言はカールの想像からは少し外れたものだった。
「ふはっ……ぁ、おれ、あなたの指が、おれのなか、入ってるの、信じられな、くてっ」
「嫌か? 気持ちよくない?」
「ひゃあ、ア」
 抜き差しの速度を少しずつ上げる。指先を少しずつ奥へと突き入れる。にゅちにゅちと粘る水音が心地よくすらあった。逃げを打つことを忘れ、感じるままに跳ねる足をそっと手放し後孔へと直接ローションを垂らして潤いを継ぎ足せば、冷感に悲鳴を漏らしながら尻が浮き上がる。
 きゅうとカールの指を食む肉は少しずつ解け、柔らかく奥へと飲み込み始める。もっと奥へと誘うようで、誘われるままにカールは二本に増やした指で奥へと突き入れた。
「やじゃなっ、きもちぃ……ゆび、ゆびうれしっ、おとうさんが触るの、うれしい、好き」
「――……ッ、ああ、もう、君は!」
「やあああ、そこっ、そこもっとぉ」
 理性の壁はぼろぼろに崩れているのだと思う、お互いに。
 あまりにも幼く単純な言葉が刺さる。うれしい、きもちいいとルドルフは舌足らずに繰り返して、言葉がひとつこぼれる度に自らの雄が昂ぶっていくのを感じる。衝動のままに青年の裡を暴く指からは気遣いなんて抜け落ちて、じゅぽじゅぽと酷い音を立てているのに声も肉襞ももっともっとと求めてくる。そこ、と叫ぶ膨らみを執拗に攻めれば痩身が跳ねて、腹につくほど勃ち上がったペニスが泣くように先走りを散らして悦んだ。
 三本目の指を増やしながら、自らのパンツの前を寛げる。硬いジーンズ生地に押し込められていたそれはぶるりと震えながら飛び出し、同時にルドルフの中がぎゅっと指を締めつけた。
「ぁ、あ、お義父さん、の、そんな」
 真っ赤な顔をして、快楽にとろけて濡れた瞳でカールのものを凝視している。浅黒く太い、エラの張った屹立から目が離せない様子で、その瞳には怯えや恐怖など微塵もない。元より、自ら口で奉仕をしようとしていたぐらいだ。ただどろりと粘ついた期待だけが浮かんでいる。
 肉のうちがわに潜り込ませた三本の指をばらばらに動かす。人差し指で浅いふちを裏から引っ掻き、中指では前立腺を押し上げて、薬指を届く限りの奥まで突き入れながら。それでもぐちゃぐちゃと下品な音に被さるのは悲鳴ではなく嬌声だった。雄を受け入れるために仕上がった、子種を欲しがる声。きゅうときつく締めつけて奥へ導くように吸いつく肉筒。
「いやらしいな、こんなに締めつけて……中に挿入るところを想像したか?」
 問いながら見下ろせば、そこには匂い立つほどに仕上がった身体がある。浅く呼吸をする度に真っ赤に尖った乳首が浮き沈みし、精液と汗で濡れた薄い腹が波打つ。カールの指を奥まで飲み込む中は不規則に痙攣して、くぱくぱと涎を垂らしながら口を開閉させていた。
 カールの詰るような問いに、とろけた瞳で、声で、ルドルフは頷いた。
「……は、い、おとぅさんの、ここに」
 投げ出されるばかりだった足がそろりと動く。ルドルフはスキニーの絡まる膝をおずおずと立て、ローションと他の液体で濡れそぼった臀部に両手を伸ばした。
 肉付きが薄いわりに柔らかい尻に指を沈めて左右へと割り開く。カールの指にひやりと空気の触れる感覚。指と肉の隙間からとろりとローションがこぼれた。
「も、ここにっ……いれて、くださっ……」
「――ッ」
 目の奥が熱く焼ける。眩むほどの淫靡にはっと息を吐き、乱暴に指を引き抜いた。衝動に漏れる悲鳴すら甘く掠れて、自ら尻を開いたままルドルフは待っている。
 このまま衝動に任せて貫いてしまいたかったが、ぐっと堪える。随分と余裕をなくした指で萎れて横たわるレジ袋を掴み、最後に残っていた箱を取り出した。もどかしく開き、ブリスターパックの個包装を開けて手早く陰茎に被せた。スキンを着ける間に萎える、という話もあるし実際カールも覚えがないわけではないが、この子の前ではあり得ない。早く、早くと、年甲斐もなく興奮が背を押す。
 手のひらに少しだけローションを垂らし、伸ばすようにしながらその手で数度雄を扱く。準備を整えて向き合えば、ルドルフがおず、と手を伸ばしてきた。濡れて汚れたそれを厭うこともなく掴み、浮いた背の後ろにも手を入れる。膝に乗せてやりながら耳朶に唇で触れる。
「すまない、背中が痛かっただろう」
「ふ、そ、れは、ぁ、大丈夫です、けど」
 もぞもぞと、濡れて解れた場所にポリウレタンに包まれた先端が当たるように身動ぎながら、ルドルフはカールの首筋に額を擦りつけてきた。この期に及んで服が汚れることなど気にしないのに、ルドルフは遠慮がちにカールの背に腕を回す。腰に足を絡める。
 やがて落ち着く場所を見つけたのか熱のこもる息を吐いて、そろりとカールを見上げてくる。
「ぁの、ぎゅってしながら、して、ほし……」
 向かい合って、抱き締め合いながらするのがこの子は好きだ。
 もしかすると今のカールが知らない理由があるのかも知れない。けれどそんなことはどうでもいいとこの瞬間には思える。
 対面座位で、隙間などないぐらい抱き締める。服を脱いでおけばよかったと思いながら、衣服越しにもわかるルドルフの立てられる爪が愛おしい。腰に巻き付く足の重みが心地いい。
 全身で好きだと叫ぶ、この体位が、熱が、ルドルフのことが、カールも好きだった。
 背中に回した腕にやわく力を込めて応える。ぐっと息を詰めた。
「――、っ」
「ぁ、ア、はいっちゃ、ぅ、あ! く、あ、あぁ」
 触れるだけで吸いつこうとする後孔に、誘われるまま押し込んでいく。蹂躙していく。熱がスキン越しにも伝わる。
 入り口で一番太いところが引っかかって、するとルドルフが堪らないとばかりに抱きつく手足に力を込める。背中に添えていた手を滑らせて細い腰を掴めば、カールの意図を察してルドルフははあと大きく息を吐いた。刹那の緩みに合わせて腰を突き上げる。ずんと抜けた感覚、裏返る嬌声ときつく縋る腕に、皮膜越しにも伝わる肉襞が肉棒にしゃぶりつく感覚。
 あまり持ちそうにない。カールは奥歯を噛み締めながら呻いた。
「くっ、すまない、動くっ……」
「ぅんっ、ァ、いい、いいです、ふ、きて、おくっきて」
 ルドルフも自ら腰を揺すってくる。肉で感じる直接的な感覚よりも、呼吸が、律動が合うことにずっと快感を覚える。
 ぱん、ぱちゅんと肌と肌がぶつかる濡れた音を振り切るように突き上げる。ずんと奥へ進む瞬間は甘く緩み、ずっと抜ける瞬間にきつく締めつけてくる。雄の受け入れ方を知っている雌の膣のようで、けれどカールの腹に当たるルドルフのものが、ぴたりと重なる平らな胸が否を唱えている。
 当たり前だ。この子は女ではない。男で、そしてそれ以前にただの一人のルドルフなのだから。
「おく、きてる、うれしっ……ぁ、ア、開い、ちゃ、」
「いいよ、大丈夫」
 奥を突く度に、行き止まりが少しずつ開いてゆく。本当は開いてはいけないはずのところが開いていく感覚はどんなものだろう。恐怖もあるだろうに、それよりも誰にも許さないところに招き入れてくれることを嬉しく思ってしまう。
 ――この子は私のものだと、昏い悦びが囁いた。
 本当はもっとずっと奥深く、きつい場所があるのを知っている。そこまで張り出した雁首を押し込んで、返しに引っかかって抜けない奥の奥を雄で蹂躙して、スキンもなしに垂れて流れてこないほど奥で射精したい。孕ませるぐらいに愛したい。
 かぶりを振る。許しを請うように、ルドルフの肩に額を預ける。腰から手のひらを滑らせて、ぞくぞくと震える背筋を辿り、抱き締める。
「……君の、一番深いところに」
「うん、うんっ、きて、きてください、貴方だけのところ、いっぱいにして、っ」
 カールの頭を掻き抱きながら許しを叫ぶ。回すような動きで跳ねる腰に、青年の中の肉も搾り取る動きへと変わっていく。
 少しずつ乾き始めたローションよりも肌と肌のぶつかる音の方が響いている。柔らかい尻と陰毛が擦れるほどにぶつかり合って、跳ねて。中の熱さも肉襞がうねって絡みつく柔らかさも精液を欲して亀頭に吸いつく感覚もすべて、スキン越しにもリアルで、やがて不規則できつい痙攣に巻き込まれていく。
 張り出す雁首で割り開きながら、もうこれ以上は進めない場所を一際強く、深く、突き上げた。
「っく、ぁ……!」
「ぁ、かぁ、る、カールっ、ァ、あアああっ、あッ、アー……!」
 射精はほとんど同時だった。
 溶けて一つになるほどに抱き締め合う。雄を受け入れる肉も、抱いた背中も、ルドルフの全身はびく、びくと余韻に震えていた。スキンに全て吐き出し、青年の身体に種が残らないことを少しだけ残念に思いながら、詰めていた息を吐きだした。
 やがてしなる背中が力を失い、くたりとカールに体重の全てを預けてくる。抱き留めながらルドルフの目尻に、頬に唇を落とし、最後に唇を重ね合わせた。
「ふ……ん、んぅ、む」
「ふ、はっ……」
 息を継ぐために離れても、またどちらともなく唇を寄せる。すぐには引かない熱い余韻のまま、ちいさく腰を揺すれば緩く感じ入った声が漏れる。青年のそれをまた、ゆっくりと、唇ごと絡め取る。
 幾度かそんなことを繰り返し、とろ火のような快楽の赴くままに身体を揺すり、抱き締め合う。やがて深く絡ませた舌と舌で唾液を交換した後に、青年が囁いた。
「んぅ……ぁ、の、カール」
「ん……?」
 頤に垂れる唾液を口づけて吸い取り、そっと青年の顔を覗き込んだ。朱に染まる頬ととろんととろけた表情、けれど幾分理性を取り戻した瞳を伏せてルドルフは言い淀む。
 熱い頬に指を滑らせ、また唇で啄むようにして促せばぴくんとちいさく身体を震わせた。
「俺、嫉妬したんです」
「……いつ、何に」
「ドラッグストアで。……レジの女性が貴方のことを見ていたから」
 店員なのだから客のことを見もするだろう。何を言っているのかと目を瞬かせれば、察したのかルドルフはそうではないと首を振った。
「あれは貴方に気がある顔でした」
「いや、それは……あまりに大量の商品を持ち込んだから変に見られていたんだろう」
 随分前のことのように思えるが、カールは記憶の糸を手繰ってみた。しばらく買い物に出なくてもいいように、今日は荷物持ちもいるからと山盛りのカゴをカウンターに運んだ他に変わったことはなかった。あるいはあの女性がカールの勤める大学の学生ならばとも思うが、そうでなければ店員にとって客の外見などベルトコンベアで流れてくるジャガイモほどのものだろう。いちいち気にするとは思えない。
 たまに思い込みの激しい部分のあるルドルフの言うことは、カールにはひとつもしっくりこない。膝の上の青年ならともかく、こちらは不惑も超えたいわゆる『オジサン』である。大学生ほどの女性店員の目を惹けるとは思えなかった。
 だと言うのに、ルドルフはいやにきっぱりと否定した。とろけて滲んでいた目尻にちょっとばかりの怒りすら浮かべているように見える。
「違います、絶対。貴方、講義や指導以外の部分でも女学生に人気あるんですよ」
「妙な言い方を――まさか君、また大学に入り込んでウチの受講生やゼミ生と話を、っん」
 キスで誤魔化された。やわく舌に噛みついてくる様に思わず眉間に皺を寄せた。
 ルドルフには知らぬ間に大学を訪れ、そればかりかカールの指導するゼミ生と口内のカフェテリアで談笑していた前科がある。あれこそ青年は女学生に囲まれている図だったのだが、自分ばかり責められるようなかたちになっている今思い返せば納得のいかないものがある。この件についてはまたいずれ問い詰めようとひっそり心に誓う。無論、こんな風にあり得ない視線を疑って嫉妬したり、触れるだけで極まって泣いたり、文字通り全身全霊でカールを求める子どもに移り気などあるはずもないのだが。
 誤魔化す舌から主導権を取り上げて、大人しくなった唇を解放した。
「ん、ふ……だから、この人は、俺のものだって、言いたくて……ごめんなさ」
「こら」
 キスの意趣返しも込めて鼻先を摘まんでやった。ふぎゅ、と声を上げて幾分恨めしそうにカールを見返す。その表情にちょっとばかり溜飲を下げ、同時に安堵を覚えた。境界の上で激昂した不安定はもう随分と落ち着いてる。
 溜め息をつきながら、勘違いで離れていく前に薄い身体を腕の中に閉じ込めた。素直にぎゅうと抱きつく背中を、縋るように擦り寄ってくる後頭部を撫でる。
「君はその謝り癖を治しなさい。初めは随分と強かだったのに」
「ぅ、ごめ……は、い」
「よろしい」
 謝り癖にか初めの頃の態度にか、またこぼれる謝罪を止めたことに大いに頷いた。
 青年のあちこちを撫でる手を滑らせ、頬に触れて顔を上げさせる。快楽の余韻と、失態への羞恥と、心咎めと不安と、そんなものが入り交じる複雑な表情でルドルフが見つめてくる。
 苦笑する。諦観というよりも、正面から負けを認めたような清々しい気持ちだった。
「心配しなくても、もう今更――君以外のものにはなれないよ」
 本来ならば静かに過ぎるだけの時間に、生活に、突如として混ざり込んだ極彩色。今を生きるカールの生活を根底から変えてしまった青年。受け入れた以上、嫌だと言われてももう放してはやれないに違いない。
 それだけ圧倒的な存在なのに、まるで今初めて知ったのだとでも言いたげに瞳が見開かれていく。じわじわと林檎のように赤く染まっていく頬に、こちらも同じだけの含羞で口づけを返し、抱いた青年の腰を撫でた。きゅんと締まる中に、それよりも先に再び兆し始めた己の雄に、まずはスキンを取り替えるべく。
18/5/16 書き始めは56(ゴム)の日だった