本郷くんと無道先生



 真宮の瞳が優しくて嫌になる。
 大和は最近そう思う自分に気がついた。例えば朝、忙しなく身支度を整えているとき。例えば昼、食堂で向かい合って食事を摂っているとき。例えば夜、ベッドの上で転がりながら漫画を読んでいるとき。そういったときにふと視線を感じて顔を上げれば、息も止まるほど穏やかで静かで、優しい目をした鷹臣がいる。けれど目が合ったと思うか思わないか、瞬きの間に視線は逸れていつもの無愛想な鷹臣に戻っている。
 いくら大和が鈍くても、分かる。分かってしまう。あれは大和を見ていて、その実見ていない。
 大和を通して、遠い昔の愛しい人を見ている。


「……のが、気に入らないと」
 大和の話を聞き終えて、無道は特に意味もなく呟いた。意味がないのである。なぜならばこんな話、聞かされたところでどうしようもない。惚気か? と、思わなくもないが、悩める少年は至って深刻な様子である。
 わざわざ鷹臣の外出中に訪ねてきた大和は無道のベッドの端に腰掛けて、俯き加減で頷いた。宿直の教員とはいえ客をもてなすという前提はなく、今無道が腰掛けているデスクチェアの他に人が座れる場所はベッドか床の上ぐらいしかない。
 故に致し方ないのだが、そういう相談を持ちかけておきながら俺の、他の男のベッドに無防備に座るのはどうなのか。と、一瞬思ったが、無道は即座に思考を捨てた。何せ無道は産まれる前から知っていたこの子をそういう対象には見ていないし、大和自身も自分と話題の人物の関係をそういうものだとは思っていないだろう。……向こうはどうだか怪しいところだが。
 何にせよだ。それこそ『産まれる前』からの関係である大和と鷹臣に無道から意見するなど無粋である。鷹臣が大和の気に入らない目を向けてしまうのは仕方がないところもあるだろう。
 胸ポケットの煙草に手を伸ばして、やめる。学生寮とはいえ教員の宿直室は暗黙の了解として飲酒喫煙も目こぼしされているのだが、この子の前で吸うのは憚られた。代わりにがじがじと後頭部を掻く。
「確かに気に入らないのは分かるが、今は大目に見てやれ。真宮も今はまだお前と、過去を分けて考えられないんだろう」
「……それは俺だって分かるよ。まだいろいろぐちゃぐちゃなんだろうってことぐらい」
 でも、と大和は呟いた。静かに顔を上げた視線の先には無道の胸ポケット。取り出すことのなかった煙草のケースがある。
「本当は、あいつも。俺じゃなくて……あの人のことが、好きっていうか、気になってるんじゃないかって」
「思うのか」
「……先生が、俺を通して母さんを見てるみたいに」
 硬直する。また顔を伏せた子どもはどうも、本気でそう思っているらしかった。
 案外と根が深いのかも知れない。無道は前髪を掻き上げて、大和に知られないように溜息をついた。他の同年代の子どもたちに比べて短い年月だったとはいえ、自分や鷹臣に比べればきっと愛されて育まれてきた子どものはずなのにどうしてこんなに自信がないのか。  あるいは――大和本人に価値はない、その魂だけが欲しいのだと凄烈に刻まれた二月の出来事のせいか。
 鬼道の息子を正気に戻し大和を取り戻し、鷹臣と気持ちを通わせてハッピーエンド、とはいかないらしい。魑魅魍魎、悪鬼羅刹の類いであれば望むところだが、教師らしく子どもの心に向き合えと言われればさて。無道の教師という立場は仮初のものに過ぎない。
 やっぱり鬼なんていうやつは、特に大昔に悪さして封じられたようなやつはろくなことをしない。つくづく実感しながら無道は椅子から立ち上がり、俯く子どもの頭をそっと撫でた。せめてお前を通して誰かを見ているのではなく、誰かに愛されたお前を見ているのだと伝わればいいと願いながら。